中村建設株式会社

木の家、自然素材住宅、注文住宅、木造住宅の中村建設

一筆啓上

令和6年

日本が世界を変える

 これから世の中はどのようになっていくのか、私は不安に感じます。皆様はいかがでしょうか。この不安を和らげるため、私は改めて先人達が言い伝えて残してくれた事を理解する必要があると思います。
 日本は世界からみても歴史の長い国で、歴史書の「古事記」「日本書紀」などにもそれが記されています。その中には、日本は神々の手によって国が築かれていった事など記録され、神代の創世神話などから始まっています。このような歴史書が残っている国はありません。
 先人達が後世に伝える必要性を感じて現代まで残されている物や言葉、風習などを私達はどこまで理解しているのでしょうか。私は、日本人の国民性を今一度振り返る時期なのではないかと思います。
 日本人の国民性といわれるものとして、勤勉であること、正直であること、真面目であること、人の和を大切にしてきたことなどがあります。また、自然に耳を傾け、動植物だけでなく、健康ブームにもなっている発酵食品には欠かせない微生物に至るまで大切にして、共に生活してきた民族です。
 戦後は食生活や生活様式も変わり、私達は食べ物や水などなんでも「お金を払えば買える」、「有る事が当たり前」のように生活しております。もちろん、文明が発達して便利になった事のすべてを否定するものではありません。ただ、私達人間が便利になるためだけに、そこに住む動植物の事を考えずに開発を進めて自然を壊し続けてよいのでしょうか。
 私達人間も自然の一部。先人達が築いてきた事に心を移し、感謝の気持ちを忘れずに新しい生活スタイルを作っていく必要があると思います。今、当たり前と思っている一つ一つの事に「ありがとう」と感謝の思いをもって、行動する事が、世の中を良い方向へ変えていくきっかけになるのかもしれません。
(R6.2)

住まいの環境

 今、環境問題は地球規模で取り上げられ、今年もアラブ首長国連邦のドバイでCOP28が開催されて、世界で脱炭素化や気候変動への取り組みがなされています。日本でもその取り組みとして省エネ対策が近々の課題となっており、私達の業界でも建物の省エネルギー化を政府は推し進めているところです。
 それを踏まえて、住まいづくりをしている立場から私なりの考え方を少し述べてみたいと思います。皆さんはご自身の住まいをどのように思い、住んでおられるのでしょうか。多分、あまり自分の生活を考えずに、家に合わせて生活をされているのではないでしょうか?
 私共は、人の運命をも変える重要な生活拠点を、〝住まい〟と考えています。なぜその様な事がいえるのかといいますと、住まいの環境が住む人に知らず知らずの内に大きな影響を与えているからです。
 住まい、大きくは地球の地域環境や、住む人達が集まり暮らす社会環境と、住まいの内部環境により影響力を受けています。人は外部環境については大きな関心を示しますが、内部環境について考えている方は、あまりいないのではないかと思っています。
 人が一日の三分の一以上過ごす室内環境について少し触れてみたいと思います。住まいの目的は、そこに住む人が心身共に健康である事が一番です。
 その為には室内に光や新鮮な空気を取り入れる必要があります。また、空気は流れている(動いている)事が大切です。室内は人が吐き出した二酸化炭素や揮発性物質を含む家具や建築資材によって空気が汚れています。
 また、家電からの電磁波の影響により体内細胞が酸化したり、ストレス社会も肉体に悪影響を及ぼします。それらを中和できる環境づくりが必要です。
 皆様も室内環境に一度、目を向けてみませんか?
(R5.12)

令和5年

天国と地獄

 この頃、若い時の自分を思い出して恥ずかしくなることがあります。三十代の頃は、神仏の事をあまり考えずに過ごしていました。ただ、我が家の父親は信心深い人で、親の命日には必ず仏壇にお参りをし、その日は肉・魚類を一切食べずに、精進料理を食すという生活習慣でした。
 私が仏壇にお参りするようになったのは、父が亡くなってからです。しかし、お参りで読む、お経の意味はわからないまま過ごしておりました。
 お坊さんにその意味を尋ねたこともありましたが、明確な答えはいただけませんでした。その後はそのことも忘れて過ごしておりましたが、最近ひょんな事から、私の家の宗派の教祖である、親鸞聖人の経典を勉強する機会を得ました。その中でお経とは、今現在に生き、生活している人の生き方の教えである事がわかりました。霧が晴れたように思います。
 人の魂は永遠に繋がっているとのことで、人の死は向こうの世界(彼岸)に生まれ変わることだそうです。
 ただ、人は死後に天国へ行けるといわれていますが、因果応報といって、自分の行いによって天国へ行くのか、地獄へ行くのかが決まるそうです。
 また、向こうの世界は思ったことが直ぐに現実化されるそうで、現世で善い行いをし、良い思いを持つ習慣をつけておくことが天国へ行ける道だそうです。
 さて、皆さんはどの道を選びますか?
(R5.10)

日本語の大切さ

 友人から俳句を詠んだ「暑中見舞い」をいただきました。そこで思った事があります。日本語の言葉には、一つ一つに意味があり、又、短い文章、例えば「おかげさま」も深い意味合いが込められています。そう云う言語で育った日本文明は世界の七大文明の一つに数えられていて独自の文化を発展させて来ました。
 言葉はその民俗の特質を育み、育てて来たと思います。又、そこに住まう自然環境からも大きな影響を受けています。こう云う民族としての特性を残して行く事も大切なことだと思います。
 明治維新から日本は急速に西洋文明を取り入れ近代化を進め、戦後はアメリカの統治化と近年のグローバル化の考え方によって、日本語の大切さを忘れがちになっているのではないかと思っています。
 国際的な公用語としての英語の習得も大切ですが、日本人が連綿とつないで来た日本人の心の文化を失わぬようして欲しいと思っています。言葉が無くなるとその国は滅びます。今、世界では言葉の多様性を否定するような動きもあります。この事にも注意を向けながら過ごして行きたいと思います。
 ただ、最近嬉しく思う事は、若い人達が日本の文化の大切さに気付き、それを生かすことを考えて行動している事です。又、外国の人達の中にも日本の伝統文化を学ぶ為に来日して学んでいる人達がいます。この日本の良さを後世に繋いで行けたら日本の国が世界からもっと評価されるのではないか(?)と、強く思うのです。
(R5.8)

人生は演劇

 人はこの地球に何の為に生まれて来たのか(?)を最近になって思う事があります。私は両親の肉体を借りてこの世の中に色々な体験をする為に生まれて来たのではないかと思います。
 体験する為には自身が実感する必要があり五感が与えられ又、精神の判断基準として善悪と云うものを与えられています。この地球上自然の中で暮らすには自然の事を良く知る事が必要です。
 自然界は行動実践して初めて体験する事が出来ます。その体験も自分の行為によって、それが自らにとって良いも悪いも全てその結果が自分に返って来るようになっています。これは今さら私が言うまでもなく先人達がその事に気付き、その逸話が「タライの水」の話です。
 水を手元に寄せると水は向こうへ逃げる、向こうに掻くと手元に来るように、人に先ず上げればそれが返ってくるの例えです。又、全ての物は生成し崩壊に進みます。その中でどの様に自分は体験し精神的に成長するかによって来世(彼岸)での行き場所が決まると云われてます。
 向こうでは同類親和の法則が働き、同じ思いの人が集まるよう出来ているそうです。退屈な世界かも知れませんが、この世は自分が主人公になって善人も悪人をも演じる事が出来ます。
 この世に居る間に、向こうでは体験出来ぬ事をして行きたいと思います。その為には無駄口や、人を批判したり愚痴を云っている暇はありません。一日一日を大切に過ごして行きたいと思います。
(R5.6)

人の気持ちを大切に

 世の中は大変便利になりました。お金さえあれば大抵の物が手に入ります。電話とかネットで注文すれば直ぐに商品が配達され、利用することが出来ます。この様な便利な世の中にあっては、商品の作り手の状態など分からず、どの様な人がどの様に係わり、作っているかが分からず、有り難さを思う気持ちが薄れてしまい、商品を大切に扱う気持ちが無くなると思います。
 最近はそう云う事を踏まえて商品を作っている企業を有名人を混じえてテレビで放映する機会が増えた事は良い事でしょうか(?)
 もちろん、その中には手づくりの所と機械による自動生産している所があり、作る方法も時代と共に大きく変化して来ています。
 そうした中で私は少し気になった事があります。物づくりは、本来、人の思いで作られるものでその気持ちが物にも入っている方が、より長持ちすると聞いています。例えば、作物等をつくる農家の人の中で、その作物が育つ過程の人の気持が入った作物は、腐りにくいと云われていますし、実際、個人の丹精込めて育てられた作物を買って使う場合は、味も濃く長く持つことを実感しております。
 又、毎日食べる食物も母親が子供やご主人のことを思い作ったものは、形が悪くても味わい深く温かみを感じます。
 どんな時代にあっても、人の気持が入る入らないによって、その人が受けるエネルギーが大きく変わるように私は思えるのです。必要なものを必要なだけ作り生活することが、これからの時代を生き抜く一つの方法だと思います。
(R5.4)

森の保全

 気候風土によって人は大きな影響を受けている事は皆様も既にご存知の通りと思います。日本の国の中でも暖かい所に住む人や寒い地域に住む人の生活スタイルは異なるように思います。ただ、日本の国は農耕を主体として生活して来ていますが、廻りの人との融和を計りながら生活をしています。
 それは農作業を見れば分かります。山から流れ出た水を順番に高い所から低い土地の方へ流して行く事が求められます。そして、その水も溢れた水を下に流す事に自然と気を付け、相手を思いやる気持ちが生まれます。又、水や田の管理をするには廻りの人の協力がないと出来ません。この様な生活が日本人としての基本的な性格を作って来たのではないでしょうか。
 一方、狩猟を主体として生活している人達は獲物や家畜の革を求め、年中あちらこちらと移動し暮らすことが習慣となっていて、人同士が共同で何かを行う事が少なく、どうしても自分勝手に行動する人が多いのではないかと思います。狩猟民族と云われる人達は、縁の少ない地域に住んでいる人達が殆どでその人達を土地に定着してもらうには、縁、そう森林を作ることだと思います。
 アフガニスタンで中村医師が灌漑用水造りをやられたのもその一環ではないかと思います。又、最近では緑化運動が日本人の手でモンゴルや他の地域でも始まっています。森の再生はその土地に虫や鳥の鳴き声、美しい花木が咲き誇ることによって、人間の心も癒され豊かになります。地球の緑化こそ今の環境問題、即ちCO2の削減、これから起こるであろう水や食料争奪を無くする一番の方法ではないかと思われます。
 日本人も森の保全に目を向ける時期に来ているように思います。如何思われます(?)
(R5.3)

コロナで思うこと

 3年程前から感染症として、この〝コロナ〟と云う言葉が広がり、今も毎日、聞かない日はありません。昔も感染症として人々が恐れたものにペストがあります。ヨーロッパでは全人口の1/4から1/3が死亡したと云われています。約2億人その他、天然痘、スペイン風邪が5千万人、エイズが三千万人、今回のコロナは死亡者数がどれ位になるか分かりません。とにかく感染しないようにしたいものです。
 その為には、あまり世間では云われていませんが免疫力を高める以外に予防方法はないように思います。私も最近、医者の本などを読むと免疫力を高めるにはそれを高める「心と体」の習慣をつくる事だと書いてあります。その中で自分に出来ることからやって行こうと思っています。
 先ずは心の問題として、出来るだけ明るい人と出会うこと、自分の考えに拘りすぎたり、人を攻撃する人は避けたいものです。又、起こった事は一先ず受け止め、それに促れることなく行動する。出来ることなら感謝の思いを常に持てるようにすればストレスも減るものと思います。
 又、体の事では姿勢を良くすること。子供の躾でも云われている「骨盤を立てる」こと(お聞きになった事もあろうかと)。それと私は最近、腹筋と腕立てとスクワットを毎日行っています。習慣付けるには三ヶ月ほど続けることが良いとされています。体が少し軽くなったように思います。あとは食を腹八分に止めること。
 以上、あまり無理をせず心と体のバランスをとる事が免疫力を高める事につながると信じ、過ごして行きたいと思います。出来るだけ自分の体は自分でケアするようにして行きたいと思うからです。
(R5.1)

令和4年

木の話し

 住まいづくりに木を扱う私共、専門家も又、一般の人達も木の役割すなわち恩恵について日頃あまり考えずに生活をしています。地球上に木は何故、圧倒的な存在で居るのだろうか(?)
 小学校でも既に習っている事だと思いますが、今一度その事について考えてみようと思います。
 地球が誕生してから先ず海が出来、そして陸地には植物(樹木)が育ちました。陸の環境が陸上生物(動物)に適応する様に樹木がその環境づくりに大きく貢献して行く事になる訳ですが、その偉大な力について考えて行きたいと思います。
 その一つが今、地球の温暖化の原因と云われるCO2(二酸化炭素)を吸収する働きがあります。もう一つは水を貯蔵する役割があることです。雨として降ってきた水を地下や下流に急激には流さず、保水して人間や他の生物が少しずつ利用できるようにしたり、土砂崩れを防いだりする機能もあります。
 又、雨を降らす為、森林は水を蒸発させ雲をつくり雨の元をつくります。もう一つ、陸上動物に必要不可欠な酸素を光合成で造っています。それと以外と知らない役割は、海の藻や魚介類を育てています。
 それを育てるには山で造られる腐葉土が大きく関係しています。腐葉土でつくられる栄養分の中で、海の海草や魚介類の成長に欠かせない「フルボ酸」が生成され、それが鉄と結合して「フルボ酸鉄」をつくり、それが河川により海に流されそれが海草やプランクトンに吸収。さらには、それらを食した人間や生物の栄養素になる訳です。
 このように、数々の恩恵を与えてくれるのが樹木です。改めて樹木の存在に感謝したいと思います。 
 忙しい日々、時には自然の恩恵を思い浮かべ、自然に感謝したいと思わずにはいられません。
(R4.10)

これからの住宅事情

 世の中の動きを見ていると、少子高齢化は大変な勢いで進んでおります。資本主義のグローバル化に伴い、貧富差が益々広がると共に結婚しない若者が増えています。同時にお年寄りが増加し続ける。
 この様な社会情勢の中で、我々住宅づくりをしている者にとってどの様な方向を見つめて経営をすることが大切かと考える時、人は決して一人では生きられない事を前提条件として、お互いが助け合って生活して行く以外にこの問題を解決していく方法はないと思われます。
 そうした時、昔の生活スタイルを思い出してみると、それは長屋式なのです。それを現代に合った型として造り上げて行く事が大切と考えます。それは老若男女が集うシェアハウスなる物を造り提案して行く事かと…
 そこには長屋と独立した家をも含め、住民が集まる場所(コミュニティー広場)、農園の併設などをして自然で自由な人々が集う集落をつくることが大切なことかと思います。人々が適度に係わり、各々が得意とする事を発揮し、住む人が幸せに生活出来る場を提供出来ればと思うのです。
 都市近郊の空屋、空き地の利用、里山保存など人と国土を活性化することが出来れば、そこに育つ子供達も人間性豊かな子供になり世の中が良くなるのではないでしょうか(?)そして、社会貢献することが、私達住まいづくりの使命ではではないかと思っております。
(R4.8)

生き物、全て大切に

 殆どの人が日々の日常生活を当たり前の様に思っていませんか(?)
 そう云う私もこれまで地球上に存在している全ての動植物が有ることを疑いもせず、当然の事だと思っていました。動物も植物もこの地球上で人間が生活して行く上でなくてはならぬ存在である事をあまり意識せず過ごして来ました。
 人間がこの地球に存在する為には、何一つ欠ける事のないパーフェクトな環境をこの世に造り、人間に与えてくれている事に即ち、創造主に感謝します。
 その中でも人間にとって動く動物を造り与えてくれたことは嬉しい事です。私も動物が好きで、よくテレビ番組で動物の生態を放映する番組を見る機会があります。野生の動物の事は特に好きです。
 この前、貴重なアフリカ象を飼育している或る動物園のことが放送されていました。象は暑いところの動物で日本のような気候の国で過ごすのは大変だろうなと思って見ていました。象は体温調整が人間のように汗をかいて行う事が出来ない為、冬場は温めたお湯を飲ませているようです。
 その番組を見ていて気付いた事があります。象を愛情を持って育てていることは分かりますが、象が寝所としている環境があまりにも劣悪に思われたのです。それはコンクリートむき出しの壁であったり、冷たいコンクリートの床であったりするからです。
 私は住まいづくりをしている者として、生物が生息する所は,木や土壁で囲われた空間でないと成長も長生きも難しいと云う事、それは静岡大学の水野教授達が以前行った3種類の箱(木、金属、コンクリート)による実験です。
 一番落ち着き、長生きした箱は木の箱なのです。動物を飼い育てるのも人間と同じように扱ってあげることが大切ではないかと思います。それが本当の愛情だと思うのです。
(R4.6)

住まいと幸福せ

 人は、目に見えて触れる事が出来る事柄にのみ、意識が向いてしまいがちです。それは、仕方がない事だと思います。
 しかし、目に見えていないものが自分の人生に、大きな影響を与えている事や、自分の生命に関わっていると感じながら、日々を過ごしている方は意外と少ないのではないでしょうか。
 私達の生活に“衣・食・住”は欠かせない大切な要素です。このうち「住=住まい」の環境は、大きな影響を人に与え、その人の生き方や運命にまで影響を与えています。その事に気付いた先人、孟子の言葉には「居は気を移す」つまり、人は住む場所や環境によってその性質や思想も変わるというものがあります。
 また、松下幸之助氏は、住まいを「人間形成の道場、人格の形成を図る場所」と考え、住まいづくりの大切さを伝えています。
 私共の所属する『ホーミースタディグループ』でお伝えしている「幸福(しあわせ)を生む住まい」も、住まいの環境の大切さを訴えており、自然の恩恵である“空気・光・風・水・土”を総合的に取り入れ、お客様と各職人さん達、私達工務店の三者が心を合わせてつくる事ができるよう心がけております。
 その幸福(しあわせ)を生む住まいづくりに大切な条件は五つあります。
一つ目に心身共の健康。
二つ目は家族の和。
三つ目は生活に困らない日々(経済的に)。
四つ目は良い子が育つ。
五つ目には快適な暮らしができる。
 これらの条件を間取りに出来るだけ仕組むことを目指しています。
 住宅の計画を考えていない方も、『ホーミー教室』で一緒に学んでみませんか?
(R4.4)

言葉の大切さ

 私達は、生まれて直ぐには言葉を発する事は出来ませんが、幼児期には親や周りの大人から教えられ、言葉を喋れるようになります。
 小さい時は、その言葉の意味も良く分からずに、相手が喜んでくれれば自分にとって良い事と捉え、相手が嫌な表情をすれば良くない事だと捉えて言葉の使い方を学び育っていきます。
 少年期、青年期初めには言葉遊びをしながら自分の感情の赴くまま、言葉を使って生活していますが、大人になるにつれて言葉の意味合いと、その力が自分にも大きく影響し、自分の生活をも変えてしまうものなのだと知っていきます。
 また、言葉は相手に自分の思いを伝える手段として使いますが、相手に良い印象と思いを伝える事が、自分の生活をより良いものにしていく事につながると、頭で分かっていても、その時に受けた悪い思いや感情をコントロール出来ずに相手に対する怒り、ねたみ、そねみ等の言葉を出してしまう事もあります。
 出した悪い感情の言葉は、相手を傷つけるとともに自分の運命をも悪くすると言われています。また、同じ意味や同じ思いを言葉として発する場合にも、言い方や言葉の選び方、発する時の表情などでも大きく印象は変わります。
 毎日の生活の中で、常に明るく積極的に言葉を使うことは、なかなか出来ませんが、起こった事に感謝して、“ありがとう”や“助かります”などの感謝を伝える言葉を多用しながら、自分の住む世界で、自分の人生、運命や健康を良くしていきたいと思います。
 こと時代だからこそ! ポジティブに参りましょう!!
(R4.2)

両親に感謝

 自分が永年生きて来た中で、一番自分に影響を与えた人と云えば、両親であると思います。特に幼い頃に受けた影響は大きいように思います。
 私が生まれ育った所は、借家の木造2階建の一軒家でした。その頃は水道が無くて井戸を利用、トイレも汲みとり式、又、明かりが無くて夜、トイレに行くのが恐かったことを覚えています。
 食料と云えば、十分でなく、毎日、四六時中、腹を空かしていて、母親を困らせた事も多々あります。ご多分にもれず衛生状態も悪く、蚤・シラミ・南京虫と同居の生活が10年程続き、その後、両親が一生懸命に働いたお陰で借家生活から解放されます。
 そんな生活の中でも母親は歌や文学が好きで、我々子供に童謡や昔ばなしを聞かせてくれました。今思うと、その事が今の自分の元を作っているように思います。小さい頃に体験した事は以外と忘れる事がなく、身に付いているようです。
 童謡は自然を題材にしたものが多く、情緒を感じる心をつくり、昔ばなしは人の善悪について教えてくれたように思います。今の人達より、生活するのに精一杯の中で、子に対する躾や教育に手を抜かなかったのではなかろうかと、両親に感謝しかありません。生きる意味も、その頃に教えられたと思います。
 大変革の時代と云われていますが、日本人が紡いで来た基本を忘れずに歩んで行けば、きっと良い結果が生まれることと思います。
 明るい希望を持って今年一年過ごしたいと思います。宜しくお願い申し上げます。
(R3.12)

令和3年

女性の力

 最近では、歳をとると若い頃には見えなかった、又、気が付かなかった事を知り、まんざら悪くないよう思えるようになりました。
 私共夫婦は、今、息子の嫁とその子供達に囲まれて生活しています。同居して17年間孫達が家庭の中で成長し、又、それぞれの考え方や行動する中で、母親である嫁の価値観が子供達に色濃く表れてきている事に今さらながら驚いています。
 彼女の育った環境から来ているものだと思います。私達も自分の子供達を育てて来た中で、母親の影響力が一番大きかったと思っています。昔から子を育てるのは母親の役目、父親はその家族を社会環境から守る事が主眼となってきたと思います。
 今は社会の情勢で少し変化しているようですが、基本的には変わらないように思っています。家庭教育が子供達の善悪判断や倫理観(人に迷惑を掛けない事はもとより、何事にも感謝する気持ち)を習慣化するのがその大きな役割だと思います。それには、これまで連綿として続いて来た日本人としての価値観も受け継いで行く事が大切だと思います。
 母親になる前、幼少期から娘時代までに、日本人として大切に受け継いで来た風俗や風習、先祖を敬うこと、兄弟仲良く明るい家庭を築くこと、人様に迷惑を掛けない生活習慣づくり、当たり前の事がきちんと出来る人になり、それを子育てに生かすこと、日本人が世界から尊敬の目で見られ、世界を安定平和な社会にして行く上での近道かと思っています。
 日本の国を良くするも、又、尊敬される国にするも女性の行動ひとつに掛かっている(?)
 日本国は天照大神のお国柄ですから。
(R3.10)

お持てなし

 オリンピックが始まり、日本人の活躍を見聴きするにつけ、嬉しい気持ちになります。又、それを共に各国の報道関係者も日本人の生活やその人となりを取材し、日本人を評価する中で、日本人の「おもてなし」の心に感動を受け、それを自国の人に伝えてくれる事は本当に嬉しいことです。
 私も旅をした時に、そのことを実感したことがあります。それは、私の孫が乗り物オタクで、彼と一緒に四国の観光列車に乗った時のことです。
 最初は各地に観光列車があることすら知らなかったのですが、四国や九州に多くの観光列車が運行されていることを知ることになりました。その地区の活性化のため、地区の人達が知恵を出し、作り出したのがそれです。そこに乗車する人達は、多く列車に乗ることを楽しみにしていることだけでなく、その地区の温かなおもてなしに触れる事の楽しみを見い出してます。
 車内で同席になった長野の人は、それが魅力で百回以上も乗っていることを聞かされました。私も数少ない体験の中で、先ず驚いた事は止まる駅はもちろんのこと、沿道の人達が一日、一〜二本の列車に向かって一般の住民が自分の家から、又、畑仕事をしながら老若男女問わず旗やウチワを振ってくれるのです。
 これを義務感(行政等から頼まれる)で行っていれば続かない事であり、暑さ寒さに関係なく笑顔でやってくれている。
 私も人格向上に役立てたいと思うのです。
(R3.8)

感性を育てよう

 朝、目覚めて“今日も生きている事の喜び”を感じる。先ずはコップ一杯の水を飲む、身体がシャキッとする。神棚、仏壇にお詣りし今日一日素晴らしい体験が出来ることを祈る。早朝は誰にも邪魔されることなく、自分が好きなように過ごせる至福の時だ。
 ところで最近思う事であるが、自然って有難く、面白いものだと云う事。我が家の庭には私の親が土地を買った頃から木や又、私達が買って植えた木、そして鳥が何処からか運んで来た草木が雑然と生えている。時期によって美しい花を咲かせるものや金盞花のように良い匂いを放つものもある。
 四季を通じて庭を見ていると、春は若芽が息吹き、夏は葉が太陽の光を受けキラキラと輝き、秋は葉が紅葉し、冬は土に帰って行く。このように毎日、自然界は変化して止まない。これに比べて人間の造った人工物はこの自然界のような美しい変化には遠く及ばない。
 最近の人達はこの自然の美しい変化を楽しむ余裕がないのか。家を造る時、草木が元気良く育つ庭を造る人が少なくなったことは非常に残念に思う。変化を楽しむことがその人の感性を育てることだと私は思っているのだが…
 知性だけの人間が増えれば、文化も育つことなくギスギスした社会になり住みにくい世の中になることを危惧している一人です。
(R3.6)

今、思う事

 今は本当に便利な時代になりました。特に行ったことがない場所へ車や電車で出掛ける時、どの様に行けばどれ位の時間が掛かり、帰りの時間だってほぼ正確に読めると云う、本当に有難い文明の利器があります。
 ただ、全てをこう云った物に頼ってしまうのは如何なものでしょう。生活に影響する政治・経済・教育等、自分の今後の人生に大きく関わるものを簡単に手に入る情報のみに頼るのではなく、人のネットワークを広げ、多くの方面から得る情報も必要ではないかと思います。
 それも一芸に秀でた人の話から得るものは本物の情報ではないかと思われます。何事も努力して本物に出合えた喜びは得がたいものがあります。又、その得たものを自分のものにするには、静かな環境に身を置き、そして思い起こすこと。早朝は雑音もなく、思考するには最も適した時間帯です。事柄を深く理解し、また納得出来ます。
 私は早起きがとても苦手な人間でしたが、あるご縁を頂いてから早起きの習慣が身につきました。
 「早寝早起きは三文の得」と云われるように、体調を崩すことなく痩せることも出来ました。
 皆さん、実行してみませんか?
(R3.5)

歴史を楽しもう

 皆さんはどうか存じ上げませんが、私は歴史の授業が一番嫌いでした。特に高校では受験の為、出来事を年代で覚えるのが苦手でした。
 最近、縁があって、学校の授業では触れる事がなかった近代日本史を紐解く機会を得ました。幕末から明治にかけての時代は日本が鎖国から西洋文明を積極的に取り入れ、世界の列国になって行く過程はワクワクするものを感じます。その原動力となるのは、日本人の歴史観すなわち日本人としての長い歴史の中で培われてきた“生き方”にあります。今回、図らずもNHKの大河ドラマで取り上げられている渋沢栄一氏は、その代表的な人物です。
 渋沢氏はご存知の通り、日本の資本主義の基礎を築いた人です。その渋沢栄一氏は経済と道徳を一つのものとして商いをして行くことが、人様に愛され末永く継続して商いを続けて行く事が出来ると云っています。
 海外のギブ&テイクの考え方とは異なり、人を愛し商品を愛し、世の中を良くして行く商いのやり方は、これからの世の中の手本となる方法です。私利私欲を止め、世の中に役立つ人を育て、商品を届ける、日本人のやり方を世界の人々が真似をすれば、素晴らしい世の中となり、今問題になっている気候変動や格差を含めた全ての問題が解決されるように思います。
 皆様もご一緒に大河ドラマを見ませんか?
(R3.2)

あたりまえの日常生活

 自然界には何一つ不必要な物はつくられてないと云われています。自然は人間が生存する為に必要な物を全て与えてくれていると云うことです。
 確かに私達が地球上に住む為に必要な五大要素「地」「水」「火」「月」「空」等がそうでしょう。そして、人間の身体は小宇宙と云われ宇宙の元素と同じ物で出来ていると云われております。この様に自然界には一つとして不必要な物がないと云う事なのです。
 人間にも不必要な人が居ないのと同じで、誰しも優劣を付けるよう存在している訳ではないと思います。しかし、歴史を見て来ますと必ずしも人間はその様にして来てない事は云うまでもありません。人間のエゴによって、又その人の生まれ育った環境による価値観によって、世の中を混乱に導いている人達がいるように思われます。
 自分の考え方が正義だと云い、自分の考えを押し付ける人が大半だと思います。そう云う自分もその部類に入っていると思いますが、最近倫理法人会と云う組織に入れて頂いており、その会の創設者や会員の人達の実践に触れるにつけ、仲良く暮らして行く方向付けを気付かさせて頂きました。それは、日常生活で当たり前と云われる事をすることです。
 皆様も幼い頃から親や周りの大人達に教えられて来た事ばかりです。先ずは義務先行。時間を守る。これは誰もが平等に与えられている一日24時間の中で守らない事でその人の貴重な時間を無駄にしてしまっていると云うこと。人を思いやる気持ちの第一歩だと思うのです。
 もう一つ、生命の根源である両親を大切にすることです。私も親を亡くしてから、その事に気付いた一人ですが、親の先を辿ると人間の造り主である神仏に行きつく事と思います。
 先人を敬い、神仏を敬う気持ちを持ち続ければ、少しは世の中の人々の行動も変わり、明るい豊かな世界が実現するように思います。
 日常生活の中の当たり前を大切にして参りたいものです。
(R3.1)

令和2年

“オイスカ”って何?

 私には25年以上続けてきたボランティア活動があります。それは中野与之助と云う人が1961年に設立したオイスカと云う団体で、農業を通した人づくり・国づくりを目指したアジア・太平洋地域34ヶ国で「農業開発」「人材育成」「環境保全」「普及啓発」を行っている国際NGO組織です。
 日本では政治家・企業家・個人が参加しています。具体的には日本国内にある4つの研修センターに各国の若者に声掛け、農業・畜産・工業技能実習を行っています。又、海外にも12ヶ所の研修センターがあり、現地の青年がそこで学んでいて、その若者達は地域のリーダーとして活躍しています。
 この様な活動を始めたのは、戦後間もない時、各国で独立運動が起きましたが国の安定を図るには、国民に充分な食料を必要としますが、ただ他国の食料援助にだけ頼るのではなく、自国で食料の自給を高め国力をつけることが大切であるとの考えで、中野与之助氏は環境にも配慮した日本の有機農業を現地の人に教える事を思い立ちます。この事は、延いては日本の文化「お陰様の精神」を相手に伝える事にもなり、良き人間関係が生まれ、人と人との繋がりも深くなり世界平和に繋がるのでは…。
 私も縁あって、この団体との関わりを持ち、各国にボランティアとして出向きましたが、その中で働く日本の人達は、アフガニスタンで亡くなった中村哲医師の様に見返りを求めない人達によって運営されています。
 純粋に相手の国の困っている事を手助けすることが、真の世界平和になるよう思います。又、オイスカは、国連ではユネスコと同等のNGOとして扱われています。残念ながら、殆どの日本の方には知られてない団体です。
 少しでも多くの方に存在を知って欲しいとの思いで記事にしました。ご興味のおありの方はご一報ください。
(R2.11)

自分の身体に感謝!!

 皆さん、コロナと猛暑の中、如何お過ごしでしょうか(?)どちらも外に出ることを控えた方が良いと云うことで、家に居られる方が多くなったようです。コロナは第二次感染の増大中で、県外や感染の生じやすい場所への立入りを抑制しています。その為、人によっては外に出られないと云った事にストレスを感じている人もいます。
 私と云えば、若い時はやはりその事がストレスと感じたと思いますが、見方を変えてみると、これまで余り必要でもない集まりに出掛けたり、その為に自分を忙しくしていたように思います。
 そんな中で、体調を崩して病気になったりしていたよう感じます。今はコロナや熱中症のお陰で、本当の働き方改革を自分でやる機会が与えられたように思います。今は自分の充電の時と考え、行動のチェックをしています。
 特に心身共に健康であることが大切であることは頭では充分分かっていますが、いざ自分がその様にやっているかと云うと、心の忙しさに振り回され自分の身体を大切にしてこなかったよう思います。
 例えば、つい人に誘われると深夜まで深酒をしたり、用事もないのに夜遅く起きていたり、食べ過ぎたりして来ました。身体を動かすことがついつい面倒になり、食事時でも自分でやれば良い事を他人に頼んで嫌われてみたり、歩きや自転車でも行けるところを、つい車を使って身体を使わないようにしている自分がいます。
 しかし、身体を使わないと頭の働きも悪くなって来るように思います。今はその反省として自宅で簡単に出来るストレッチをしてみたり、家内のリハビリを兼ねて、夜プールで水中ウォーキングしています。
 身体の健康が心の健康を大きく作用するように思います。忙しい人ほど、自分の身体のケアに注意すると聞いています。元気で長命は身体のケアからと思います。自分の身体が元気に働いてくれる事に感謝しましょう。
(R2.8)

日常

 人は育った環境によって植え付けられた習慣と云うものから、なかなか離れることが出来ないものです。それを感じるのは特に自分とのかかわりが強い家庭内や職場ではないかと思います。
 家庭内を例に取ってみると今、私は息子の嫁とその子供達(孫)と同居しています。同居には人から見るとうらやましがられる良さもあれば、同居していない人には分かりづらい面もあります。同居して良いと思えるのは、やはり人が沢山いる事によるお互いの安心感ではないでしょうか(?)
 年寄り二人だけの生活では体験できない若い生命の成長を間近に感じ、触れることが出来る事は大きいし、孫を通して今の時代の変化を瞬時に感じ取れることは何より喜ばしい事です。
 が、反面、嫁との習慣の違いからくる違和感、それは食事に表れます。嫁は私達の身体を思って料理を作ってくれるのですが、私が幼い頃、育った家では生野菜それも葉物をそのまま食べることをして来なかったのが、一つあります。
 もう一つは、大皿に多くの物を盛りつけて食べる事です。いつものように食事をしていて、私が嫌いな野菜を皿に残した折に、末の孫が「じいじ、物を残すと勿体ないよ!勿体ないから僕が食べて上げるね!」と優しく云われてしまいました。物も言いようだ。
 上手いこと云うなあ…と関心すると共に、私は時々、自分の感情にまかせ、ストレートに言葉を発している自分を恥ずかしく思いました。
 子供は周りの人達の影響を受けながら着実に成長して行くものだと改めて思うこの頃です。
(R2.6)

大きな力

 今、世間を騒がせているコロナウィルスのお陰で日頃のバタバタ生活から解放され、少しゆっくりする時間が取れるようになりました。有難いことです。
 ところで、私もこの世に生を受けて70年以上に渡り生活して来ました。その間には楽しい事もあり、否な辛い事も沢山ありました。そうした色々な体験の中で、今思う事はその時々に自分に必要な物事を体験させられたように思います。人との出会いも例外ではありません。
 その中でも特に不思議に思う事は、結婚です。私は恋愛でなく見合結婚ですが、何故、今の家内と一緒になり、生活を共にして来たのか今だによく分かりません。自分が決めた事に違いはありませんが、相手をその場に引き寄せ合わせることには、自分の力だけでは到底出来ることではありません。
 自分にはどうする事も出来ない大きな力が働いているように思います。この世の中には、信じる信じないは別として、自然の法則が厳然と存在することは皆様もご存知の事と思います。
 その一つに、原因と結果があります。どの人もこの法則から逃れる事が出来ないと云われてます。私も今の居る状態は何らかの力と自らの意思が自身を造っているのだと思います。良くも悪くも自分次第と云いますが、私も欲があって楽しく楽に生きて行く方法を見つける中、倫理の世界に入って見て、納得した事があります。それは明るく朗らかに何事にも感謝し、人様の役立つことをして行く事だと知らされました。
 自分の我欲の世界を少しづつ卒業しながら、毎日毎日と過ごして行けたらと思っています。
“日々の生活の大切さ”
(R2.4)

お陰様、お互い様

 今、世の中は近年、西洋からもたらされた一つの価値観「グローバリゼーション」が主流です。この考えは人・金・物が国民、国家の枠組みを越えて活発に移動し各経済の開放と世界の産業・文化・経済市場の統合が進む現象を言います。この考え方を私も本当に理解しているかと云えば、そうではなく、何となくこの考え方に違和感を感じます。
 それは、私が親たちから教えられて来た価値観や物事の進め方、経営のやり方、子どもの教育方法など日本人が連綿と引き継いで来たものの価値観と異なるように思うからです。
 私はこの考え方を否定するのではなく、見方を変えてみてはと思います。日本は世界から特異な国と思われています。それは、日本の歴史が示す通り、単一民族による長い歴史にあります。神武天皇から数えて2600年以上も続いている国柄は世界には存在しないようです。
 その中で先人たちによって築き上げられて来た人間の生き方が示されています。それは生きとし生けるものには、全てに生命が宿っていると云うことです。それと西洋的な自然を人間は征服して生きるのではなく、自然と共生して生きる生き方です。又、ギブアンドテイクの世界ではなく、お陰様・お互い様と云った相手を思いやる気持ちを常に持ち生活するやり方です。
 経営においても二宮尊徳氏の「タライの水」の話しのように、水を自分の方へ引き寄せようとすると向こうへ逃げてしまうけれど、相手に上げようと押しやれば、自分の方へ戻ってくる、この様な価値観と各民俗の独自性を認め、尊重して行く事をすれば、強ちグローバリゼーションの考え方も自分でも納得できるよう思えます。
(R2.2)

令和元年

新年を迎えて

 新しい年号になり初めてのお正月を迎えました。今年は日本の夜明けの年になればと思います。昨年は5月の皇位継承に伴って新たに即位した天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が皇居、宮殿で行われました。
 天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら憲法に則り、日本国が日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います」と述べられました。
 儀式には秋篠宮ご夫妻をはじめ、11人の皇族方も参列されたほか、外国の元首や王族それに内閣総理大臣など三権の長や各界代表など凡そ2000人が参列しました。私もこの様子をテレビで見ていましたが、神々しい凛とした姿を拝見し、他の国には無い日本国民の中心となる方が存在している事に改めて感じ入りました。有難い事です。それも今に始まった事でなく、神武天皇より皇紀2680年続いておられる天皇家が存在することに驚きです。
 国を治めることもそうですが、社会の基本単位である家庭においても先祖から続いている縦がしっかりしてないと横の継がりも上手く行かないのが世の常です。これまで、その事を余り意識して来なかった人々も今回の天皇陛下即位によって、その大切さを気付かされた方も(私を含め)多かったのではないかと思います。
 今年はその仕組みの重要性を知って新しい時代を皆様と共に作って行けたらと思います。明るい未来を作るためにも、今、気付いた事を実行して行きましょう。
 皆様にとって素晴らしい一年になることをお祈り申し上げます。
(R1.12)

食べ物に感謝

 台風一過、ようやく秋らしい季節となりました。台風で被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
 昔の諺に災害は忘れた頃にやって来ると云う言葉を思い出しますが、昨今はその言葉を返上しなければなりません。ところで、今年も新米が収穫される時期になりました。毎年、新嘗祭が宮中祭祀のひとつとして11月23日に天皇が五穀の新穀を天神地祗(てんじんろぎ)に供え、又、自らもこれを食しその年の収穫を感謝する祭典です。
 宮中恒例の祭典の中でも最も重要なもので、天皇陛下自らが栽培された新穀もお供えになられます。又、伊勢神宮には天照大神(内宮)と豊受大神(外宮)があることは皆様もよくご存知のことと思います。
 昔から、日本人は特に食べ物として穀物を大切にして来た民族です。最近は、食事も洋食を好む人達も増えパン食も多く、お米をあまり食べない人達もいます。食べ物の多様性が広がることは良い事ではありますが、ただ食べ物に対する心構えを持つ事が必要ではないかと思います。
 食べ物は多くの人々の働きによって作られている事をつい忘れがちになっているのではないでしょうか?食べ物があって当たり前、又、粗末に扱ってはいないでしょうか?
 食する時に先ず「いただきます!」、食べ終わった後は「ごちそうさまでした」と感謝の気持ちで挨拶をして食卓に向かうことを習慣づけすることが、食べ物が私達の生命の元であることを思い出させる言葉だと思います。
 その様な感謝の気持ちが災害を無くす一つの手立てになるのではないかと思うのです。
(R1.10)

自然環境の変化に思う

 このところ、日本の各地で30度を大きく上回る暑い日が続いています。日本の北に位置する北海道でさえ、今年の夏は冷房なしでは生活するのが困難と云うことでエアコンがどんどん売れているそうです。
 これは日本だけの事かと思いきや、新聞等によるとヨーロッパや、本来は雨季であるインドでもこの夏は記録ずくめの暑さになっているとのこと。日本の北海道より経度の高いドイツで42.6度、ベルギーで41.8度、イギリスで38.7度だったそうです。又、6月28日は、何とフランス南部の都市で46.0度の気温を記録したようです。驚きですよね。
 一方、家畜のエサであるトウモロコシがこの熱波の影響で立ち枯れや、実を付けない畑が随所にあり、農民は乳製品の製造等、大きな影響が出ているとのことです。他の農作物にも影響があるものと思います。
 ところで、この環境の変化は、私共が自然環境を重要視して来た住まいづくりにも変化をもたらして来るものと思います。昔の住まいは周りの環境が今と異なり田や畑や庭があり、自然いっぱいの環境の中に造られ自然の恩恵である光・風・水・土をふんだんに取り入れる住まいづくりをして来ましたが、今は家の中に居るだけで熱中症にかかる状況。
 住まいづくりも文明の力を借りながら、して行く必要がある時代になったようです。
 日本の伝統文化が少しずつ失われて行くようで寂しい限りです。
(R1.8)

唱歌

 最近、歳のせいか、気持ちの変化からか(?)無性に唱歌や童謡を聞きたくなり、先日、倫理の本「新世」に唱歌のCD広告が出ていたので、早々購入してみました。今も車の中で聞いています。気持ちがイライラした時など、それを聞くと妙に心が落ち着きます。唱歌は少年時代の情景を思い出させてくれるからかも知れません。
 そんな事を考えながら、孫の9才を車に乗せて遊びに出掛けた折、彼に唱歌を聞かせ、この歌を聞いたことがあるか?と問うと、半分位しか知らないとの事。中でも「村の鍛冶屋」の歌は全く知らないらしく、それもそうだと思いました。今の時代、鍛冶屋の仕事が世の中に殆ど存在していないし、歌詞も分からないのは当然です。
 昔は鍛冶屋に限らず、至るところに職人の姿があり、又、話しも出来たりと子供達が直に触れる機会が少なくなった事は寂しいことです。人の営みを見聞きすることによって人が人として成長して行くのに必要なことではないかと思います。
 皆様はどう思われますでしょうか?
(R1.6)

新しい時代

 今年は何かしら大きく時代が変わる時であるように思います。世の中を見ていますと、何となく人々は不安な気持ちで過ごしているように思います。日本国内でも少子高齢化で人口が減り、格差社会が広がり、又、AIと云った人工知能による世の中のシステム管理が進んで、人間として心豊かに生活出来る社会が崩壊して行くように思います。
 人間社会の基本単位と考えられている家庭も、今では結婚しない・結婚出来ない・又、配偶者が亡くなった方・一人暮らしの人達が巷に溢れています。人間は一人では生きて行く事が出来ないと云われていますように、何処かの集団に上手く入ることの出来る人はまだ救われますが、そうでない人は一人で悩み続けウツ病のような病いを発症し生活そのものをダメにしてしまうケースもあります。
 その様な人生を送らない為には、幼少の頃からスポーツや文化サークルに入って人間関係をつくる努力が必要かと…。知識も大切ですが、小さい時は人と遊ぶ事が一番。人間関係に慣れ、又、その遊びを通して人の上下関係・我慢や辛抱を通してお陰様の心を培って行き、人間は自然に生かされてると思える人になれば、その不安も解消され新しい時代を迎えることが出来るのではないでしょうか(?)
(H31.4)

チコちゃんに叱られる 

 最近、NHK総合の高視聴率が続く雑学クイズ「チコちゃんに叱られる」を時間が合えば、孫と一緒に見ています。人が何気なく過ごしている中であらたまって質問されると答えられない事が多く有ります。
 その時、チコちゃんは「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱ってくれます。私も、そこで自分なりに日頃から疑問に思っている事を皆さんにお聞きしたいと思います。
 私の考えをお読み頂いてから、これはどうなのか(?)見解をお教え下さい。その一つは、自然界は何故、男女を造ったのでしょうか?私の知る限りでは、其々の無い所を補うように造られていると云われていることです。
 確かに男性と女性とでは、体つきが異なることはもちろんの事、其々に役割があって男女が一つになって初めて人間としての役割を果たせるのだと云われています。又、この世では其々の役割を果たして、人(霊止)として成長して行く事が人に与えられた使命だと云われています。
 その使命を果たすには、昔から連綿として続いて来た男女が成人し、結婚して、子どもが授かり、育てて行く中に、それがあるのではないかと思います。人はついつい自分の都合の良いように、勝手に物事を解釈して過ごしていますが、自然の摂理に逆らわないようにする事が結果的に、幸せな生活を送り続けることが出来るのではないかと思いますが、如何でしょうか?
(H31.2)

平成30年

家族の幸せ

 人は何時の時代も幸せを求めて生活をしています。日本は終戦後、生活様式も変わり、国民の生活も随分と豊かになって来ました。
 特別、贅沢をしなければ、食べていけない時代ではなくなって来ました。又、お金さえあれば、好きな物が何でも手に入れる事が出来ます。一人暮らしも何不自由なく出来る時代です。
 物質的には豊かになり何でも欲しいものが手に入りますが、人としての繋がりが、昔に比べ希薄になったのも事実です。最近は結婚しない人や、結婚しても直ぐ別れてしまう人、又、ご年輩においては連れ合いを亡くされた方の一人暮らしが増えております。
 私もそう云う人達と係わりを持つ中で、一人暮らしの人からよく聞く話ですが、昼間生活している分には寂しさは余り感じないが、夜遅く自分の寝床に戻る時、電灯が消えている玄関を入る侘しさは何とも云えないとのことです。
 私は結婚した時も今も親との同居を経て、子供との同居をして来ましたので侘しさを感じた事がありません。先の事は分かりませんが、私はお会いする人にいつも同居の薦めをさせて頂いております。
 同居を嫌う人は、得てして家でも気を遣うのは嫌だとおっしゃいます。私は何処に居ても人として気遣うことは大切な事だと思っています。家族同士であってもお互いに気遣いし合うことは、自分を成長させる為にも良い事だと思うのです。又、同居の良さは家族が居るだけで安心でもある。
 絆のもてる家族は、最高に幸せです。
(H30.12)

評価

 最近、アメリカの事情に詳しい友人の話から、アメリカのタクシーは顧客の評価でもって、その手取り金額が変わるシステムになっているとの事。例えば、タクシーの運転手が客に対して少しでも乱暴な言葉や態度で接した場合、直ちにその評価が点数として表され、低い点数の人は客からのオファーが少なく、仕事を続ける事も困難になると云う事です。
 「本当かなぁ」と思いますが、日本でもその傾向が見受けられます。私の会社でも協力業者の職人名を名指しして仕事を頼まれる方が見えます。
 日本や欧米のように成熟社会ではより良い物を求める、目の肥えた人達が居ます。仕事の出来映えはもちろんのこと、その人の人間性にも惚れて仕事を頼まれる訳です。
 これからの私共の住宅業界は量から質、質からコト。何故その様な住まいを造りたいか(?)と云った個々の生き方を一緒に考え一緒に造り上げて行く人達が求められているのでは?と思います。
 職人は職人としてのプライドと技能を、住宅会社も技術はもちろんですが、お客様の生き方に寄り添うことが出来る人が居る会社を選ぶことになるのではないかと思います。
 その為には、私共も職人も人格の向上に努めることが大変重要と考えています。
 お客様から、職人も社員も皆、ご指名で声が掛かる人になる事が大切です。お客様も会社も職人もお互いに信頼の絆で仕事をして行きたいものです。
(H30.8)

「木」のはなし

 自然は人間が地球上で生活して行く上で、全てのものを与えてくれております。太陽(光)・水・空気・風・土。これらを人はいずれも気に止めていないし、タダで使っております。この事を意識している人は少ないのではないかと思います。
 そして、自然の中には人間が衣食住を営む為に必要な植物や動物までも用意されています。その中でも私が専門としている住まいづくりで欠かせないものが樹木です。木は他の植物に比べ、不思議な植物です。普通の植物は根を抜いたり、また切り離すと必ず腐り始め数週間もたたぬ間に悪臭を放ち、腐り消滅して行きます。
 しかし、木は根から離され枝を切られて皮をむかれても、その後、100年、200年はおろか1000年もの長きに渡り存在し、人間の役に立っております。これは自然界で人間に与えてくれた大きなプレゼントではないかと思います。
 木の特性を挙げると、①再生可能なもの。②腐敗する時も悪臭が出ない。③人間だけでなく、あらゆる生き物が木の恩恵を受けている。④木は雨をつくる。木の無い所に雨は降らぬ。⑤大気中の酸素量を調節する。⑥樹木によって生ずるプランクトンやバクテリアは河川から海へ流れ海中生物(海藻・魚介類)の成長生存の役割を果たす。
 この他に住まいとして使う場合は今、世界的な問題になっているCO2の削減に大きく貢献します。即ち、炭素の長期間の固定化です。又、木材で囲われた空間は人の心を和まし癒します。この自然から与えられた木材を使わない手はありません。積極的に使い、今、この汚された環境をクリーンにする手助けを皆でしませんか?
(H30.8)

幸せに生きる

 人は誰でも「幸せ」に生きたいと思っている。しかし、現実社会は誰もが皆、一様に幸福に生きるようには出来ていない。では、どうすれば皆が幸福に暮らすことが出来るのだろうか?
 私は住まいづくりを通して、人を幸福に導く方法を20年程前に「冨田辰雄」と云う住宅職人の先生に出会い、教えを受けました事は以前にも触れさせて頂いております。
 その教えとは、幸福になるには5つの条件があり、それを住宅の間取りを考える時に出来るだけ沢山組み込むことが必要であると云う内容でした。それは①家族が心身共に健康であること②家族が安心・平和な生活を保てること③家族経済に破綻をきたさないこと④子供の躾がよく出来て子孫が繁栄すること⑤毎日、快適な生活が続けられることです。
 しかし、この条件を間取りに組み込んだだけでは幸福に過ごせる住まいは出来ません。そこには、住まいづくりに参加する施主は元より職人や会社(工務店)の人達が利他の心と三方良しの心を持って造らなければなりません。この人としての心掛けを持つ人が現代人には少なくなって来ているようです。
 その原因の一つが欧米社会から取り入れた、お金が儲かればそれで良いと云う物質中心の考え方です。昔の日本人は作り手と買い手が身近な存在で、作り手の苦労がよく理解できていたのですが、最近はその事が流通と云う手段でもって分かりにくくなり、どの様につくられているかを知る機会が少ないのが現状です。だから物を買う時は安ければ良しとする考え方が主流になっています。
 それが幸せに生きられない!物に感謝できない!そんな心を作っているのではないでしょうか(?)
(H30.6)

触角について

 皆さんは五感について考えてみた事がありますか?五感は人間がこの世界を体験する為に神から与えられたものと聞いています。最近思うことですが、この与えられたものを使わないのは実にもったいないと云うか人間を不自然な状態にしてしまうのではないかと思うのです。
 例えば触角ですが、人間は触れ合うことによって心の安定を得ることが出来ます。特に乳幼児は母親の温もりを通して安心安全を感じとり、心のバランスが取れた人間に成長していきます。この乳幼児期の触角が不十分であると心に不安が残り、大人になってその事を解消する行為に走り、時には人を過めるようなことが起こり得る事もあったり…
 又、自然を肌で感じるにも乳幼児期の過ごし方が大変重要になって来ます。幼児期、少年期に虫やカエル・トカゲやヘビのような両棲類・爬虫類や鳥類、それに魚類、又、植物だって毒のあるもの、トゲの多いもの等、その動植物の感触や性質を知っていると知らないとでは、大人になった時の自然や社会に対する応用がまるで違って来ます。
 今、社会では未だに学歴重視で社会が動いていますが、人間の感覚で物を造る事が必要な時代が又やって来ると思います。その時代の為にも、子供達に動植物に対して観て、聞いて心で触れ、その生命の大切さを知らせる教育が必要だと思います。
(H30.6)

水の星、地球に住む人の暮らし

 皆様もよくご存知のように、地球は表面積全体の3/4が海です。だからと云う訳ではありませんが、地球の大気中にも沢山の水分が含まれている事をあまり一般の人は気にしていません。
 当地四日市も年平均して湿度が70%と云われています。又、人間を含む動植物も体の70%位水分で出来ています。この様に見て来ると、私達は水分がないと生きては行けないことが分かります。その事をふまえて現代社会を見る時、日本の住まいづくりも戦後しばらくすると昔から行って来た湿式から乾式に変化して来ています。
 最近は地震のことを心配するあまり、屋根瓦が無くなり鉄板やその他の軽いもので屋根を葺いたり、外壁も板貼が姿を消し鉄板やサイディングと云った水を寄せ付けない物で囲うようになって来ています。また、内装の仕上げを見てもボードの上にクロスと云った乾式のものを天井、壁に、床に至っては水分を通さないもので造り上げているのが一般住宅の主流になって来ています。
 果たして、水の星でありながらそれを拒絶するような事を取り入れて住まいづくりをすることが良いのでしょうか。私はそのような住まいづくりで良いのだろうか(?)との疑問を持ちます。と云うのも人間には潤いが必要だと思うからです。
 その一つとして、女性はお肌の潤いが必要だから化粧水など塗ってます。このように人は自然と潤いが生活には必要であることを知っているのです。潤いは人の肌ばかりでなく、人の心にも必要だと思うのです。
 今のストレス時代、住宅は和らぎのある住まいではなければいけません。室内だけでも潤いのある材料(土・草・木)をふんだんに使うことをおすすめします。 又、地球環境を真剣に思う人は炭素の固定化のために木で住まいづくりをされることです。
(H30.3)

良い生活習慣を身につけましょう

 人間は動物の一種です。動物には夜行性のものと、人間のように昼行性の動物とに分けられます。だから動物は24時間働くように出来ていません。夜動くものには夜の仕組みが、人間のように昼動くものは昼働くように身体の仕組みがなされています。
 体温のリズムやホルモンのリズムは、その仕組みによってプログラムされていますので、その仕組みに合った生活をしないと心や身体をより良く発達させることが出来ません。昔の日本人はその事を良く知っていて、次のような諺を残しています。
「早起きは三文の得」
 この諺の意味合いをちょっと辞書で調べて見て下さい。
①人間の身体は朝起きて夜寝るように出来ている。サイクルが乱れると身体は痛み、心まで病みます。
②脳は朝一番エネルギッシュに働く。脳は起きてから時間が経つほど記憶や疲労でいっぱいになり、新しい事が入りにくくなる。
③寝ている時に記憶は整理される。
④早起きは、ヒラメキが起こる。斬新で新しいアイディアが浮かぶと書かれています。
 私は最近、午前3時30分に目覚め、本を読んだり、思い浮かんだ事を書き留めたりしていますが、実感として以上の事を感じます。
 早起きすると静かな所で考え事も出来、又、時間的な余裕も生まれ、一日の行動がスムーズに行えます。
 世の中、昼行性の生活が出来ない仕事もありますが、せめて子供達はこのような生活習慣を身に付けさせてやりたいものです。身体も健康になりきっと良い事が…
 勇気をもって実行してみませんか?
(H30.3)

元気な年輩者を上手く使おう!

 日本もその内、ヨーロッパ諸国のように高齢者が増えて、それが社会問題化すると云われていましたが、今、正にその時代がやって来ました。日本人は6人に1人が65才以上の高齢化社会になったと云われています。
 確かに街を歩いていても高齢者の姿が目立つようになって来ました。そう云う私も高齢者の仲間入りをしていますが、自分達が思っていた高齢者は腰が曲がり歩くのも遅く、活動的な人が少なかったように思います。
 しかし今、私の廻りには活動的な元気な方も多く、身体や頭を使うことが好きな人達です。しかし一方では、現代社会のストレスから体調を崩して病気になる人もいます。その様な人達のケアの為、介護施設や病院が増やされているのが現状です。
 私はこの現状を見て、一つの提案をしてみたいと思います。私の体験から、現代のストレスを解消する一つの方法として、自然の中に身を置いてみること。人は元々、自然の一部ですから、自然と共にある時が一番癒される状態になると思います。
 その具体的な方法の一つが1日1〜2時間、農作業をすることです。土に触れることによって、人は地球からのエネルギーを頂き、元気になります。これは昔の人が土の上で寝て体の中にこもった静電気を放電し健康になると云ったことからも、又、実際、新潟県栄の民家では土の上にムシロを敷いて寝る習慣があったようです。
 この様にお金を掛けず元気に過ごし、又、自分で作った作物を食べることによって病気からおさらばです!はい!
(H30.2)

平成29年

因果応報

 年を重ねて来ると、世の中には人間の力では変えられない法則のようなものが有り、それがどんなものなのか(?)が実感として分かるようになります。若い時はその事に気付くこともなく過ごして来ましたが、もっと早く気付いていれば良かった!と云うと、それも人によって異なるので一概には云えないところが有ります。だから世の中は面白いのかも知れません。
 私のこれまでの体験で知り得たことは、やはり原因結果の法則です。これは「因果応報」と云う仏教の教えに有り、前世・今世・来世にも影響があると云われています。我々の子供時代にはお寺の行事に参加する事が多く、その意味合いも何となくではありますが知っていました。
 核家族が多い中、そう云った話を聞く機会も少なくなりつつあります。ただ世の中を過ごして行く上で、早い時期にこの事を心から理解していると、その後の人生が変わって来るのではないかと思うのです。しかし、人間には欲と云うものがあり、その事を知っていても欲に負けてしまい、結果が生じてから反省や後悔をするのが私達凡人です。
 そんな中でも辛い・悲しい事があると何の為、この世に生命を受けたのかを考える事になります。特に大病をした人達は深く思うようです。私も大病こそしてはいませんが、世の中の体験を通して、自分の中にも神の意志が入っているように最近、思います。自分の思う事が現れる、良い事を思えば良い事が、又、逆に悪い事(妬み・嫉み・悪口)を思えば、その結果が身体に表れたりします。
 人の心が現象をつくることを人から教えられましたが、その通りだと今は思います。
 混迷の時代だからこそ、良い思いをいつも持ち続けることによって、世の中に幸せが訪れる。何ものにも感謝です。「ありがとうございます」と物にも人にも感謝しましょう。
(H29.12)

自分の身体力

 皆様は日頃、ご自分の身体について意識したことがおありでしょうか? 私は70代半ばになって、後どれぐらい現役で仕事を続けて行けるか(?)を考えます。今、世間では男女共、平均寿命が80才を越えたと云われていますが、体も頭もスムーズに働いていなければ意味がないように思えます。
 そこで、今になって少し遅いかも知れませんが、自分の身体力がどれ程のものかを知ることが大切だと思うようになりました。そう思うと、世の中は良くしたもので、私の友人から山登りのお誘いを受けました。
 最初は御在所の青滝から中間の山小屋までを往復するというものでしたが、3回目から突然、山頂に登ることとなり驚きました。私は若い頃、遊びで山登りをした事がありましたが、50年ぶりに1000mを越える山に登ることとなった訳です。
 普段は4階まで昇るのに息切れするのに…と思いながら、一緒に登る人達に励まされながら、又、途中の美しい景色を楽しみながら登りました。登ってみて、まだ自分には体力が残っているとの自信を持つことが出来ました。この事が、やはり仕事にもやる気を起こす大きなきっかけになりました。この体力を出来るだけ維持し生活して行くには、と考え、毎日、手足や腹筋を鍛える事を始めています。
 ところで肉体は精神の象徴と云う言葉もありますが、これも肉体の限度を知っておくことが必要かと思います。精神と肉体のバランスを取ることによって、最高の働きが出来るのかと…。ただ鍛え方によってプロスキーヤーの三浦雄一郎さんのように80代でも20代の人に負けぬ肉体を持つことが可能なようです。
 なるべくなら、若者の世話にならぬよう過ごして参りたいものです!
(H29.10)

「終戦記念日に思う」オランダのアムステルダムの言葉を目にして!

 貴方がた日本は、先の大戦で敗れて、勝ち、勝ったオランダは大敗しました。と云うのも、その後、日本は世界一、二を争う経済大国になったのに対して私たちオランダは、戦後、貧乏国になってしまったのです。戦前はアジアに本国の36倍の植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は栄輝栄華をきわめていました。
 それらを全て失ってしまったからです。日本はアジア各地で侵略戦争をし、「申し訳ない!」とペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。貴方がたこそ、血を流して東亜民族を解放し、人類最高の良い事をしたのです。本当は私ども白人が悪いのです。
 日本は敗戦しましたが、東亜の解放は実現しました。日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放しました。その結果、アジア諸民族は、各々独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して闘った貴方がたこそ最高の功労者です。
 自分をさげすむことを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。こうして我々日本人を勇気づけたのでした。これを見聞きした者が、心より感動したのは言うまでもありません。
(H29.8)

結婚しない人たち

 今、日本の世の中から家族と云うものがだんだんに無くなって来ております。ご存知のように、それは若い男女が結婚をしないと云う人が増えているからでしょう。又、結婚しても、すぐ離婚する人も増え続けています。このように社会生活の原点である家族が無くなって行くことは社会生活を上手く出来ない人達が増えて行くことに繋がるように思います。
 世の中が男女の共同生活の上で成り立っている事を忘れているのか、又は何の為にこの世に男女が存在しているのか(?)その必要性があるか(?)を分かろうとしない人達がいるようです。
 人間には本来3つの本能があると云われています。一つ目は自己防衛本能、二つ目は種の保存本能、三つ目は他の人に喜ばれると嬉しいと云う本能があるようなのです。この三つの本能があって、人間としてこの世で生活する意味があり、楽しさがあるのではないかと思います。
 人との付き合いが面倒だと思う人も居るようですが、今、日本が自由で平和だからそのように思えるのではないかと思います。又、誰か(親と一緒)に今住んでいるから人間関係に不自由を感じないのかも知れません。
 時代が大きく変わった時に、人の繋がりを大切にして来なかった人達はそのツケを払うことになります。おどしでも何でもありません。世の中はそうしたものだと思っていた方が良いと思います。
 全ては自分持ちです。気を付けて頂ければと思います。
(H29.8)

国策

 今、日本人として自国において豊かに生活しておられるのは、これも皆、先祖様方のお陰であると日々感謝しております。
 やはり、先祖の方々が独立した国を造るべく努力して来た事が基になっていると思うのです。最近その様な事を忘れかけて来ているようにさえ思えます。
 又、最近私は国を守ることの大切さをつくづく感じています。これも近くの国の国策が我が国を脅かす状況が、報道等を見聞きするにつけ感じられるからです。
 国を守ることは、私達の生活や文化的価値を守ることに他なりません。20世紀に入って、日本も清国・ロシア・アメリカとヨーロッパとの戦争は全てそのことのために起こったことだと思っています。日本が戦争をしなければならなかった原因、それは国を守る為仕方がないことであったのではないかと思います。
 最後の戦争、第二次世界大戦は、日本が仕掛けた戦争で近隣の諸国、特に中国・韓国には、そう思われているようですが、私は三国同盟でドイツ(ナチス)やイタリア(ムッソリーニ)と組んだ事が良く思われていない大きな原因ではないかと思います。私は日本が世界と戦ったことは決して間違ってなかったと思っています。
 アメリカやヨーロッパの植民地政策に歯止めをかける戦いであったと聞いています。私の浅い体験からもオイスカと云うボランティア団体と植林に云った折に、現地の要人からもその事を聞きました。
 日本を除くアジアの国々は太平洋戦争が始まる前までは、白人が支配する国の植民地でありました。その戦争によって日本人の力を借りることにより大戦後、独立した国々が沢山あります。
 中国と韓国も同じです。独立国として存在することが、どれだけ大切なことかと、今一度考えてみることが必要ではないかと思います。
(H29.6)

三方良しの精神

 最近都市への一極集中による地方の人口減少に歯止めをかけるべく、地方創成の話しが盛んに云われております。地方の良い所を見直し、地方が元気になって、人口が分散されていく事は、日本人が豊かに暮らしていく上で大変結構なこと、「政府も最近良いことを云うなあ」と思うのですが、その一方でグローバル化を進めようとしている事については如何なものかと…
 世界から安い物(特に農作物)が入って来れば、消費者は喜び得したように思いますが、それらの生産者側からしてみれば、価格が下がる事によってその分、大量に作り販売しなければ生活出来ない状況が起こる訳ですよね。
 日本国内の田畑を見廻してもそれに適した土地は北海道ぐらいで、多くの農業就業者にとっては、それが難しいのではないかと思われます。又、消費者も海外の食品が安全安心かと云うと組み替え遺伝子の事や農薬の事もあって、若いお母さん方にとっては大きな問題として捉えていらっしゃる方も少なからずみえます。
 日本では昔から「売り手良し、買い手良し、作り手良し」の三方良しの精神があります。これからの時代、その日本的精神で物事を進めて行くよう、世の中の流れを変えて行く事が世の人々にとって、一番住み易い世の中が実現されて行くのではないかと考えます。
 世界の時流と云う言葉に惑わされぬよう、自分で考え行動して行く大切な時期に来ているように思います。皆様はどう思われますか?
(H29.5)

常識を疑ってみよう!

 私も含めて世の中の人は「そんなこと常識の範囲内ですよ」と云われると、自分ではそうかなぁ(?)と思いながらも妙に納得してしまうことが多いのは何故でしょう。特にマスコミなどで繰り返し報道されたり、時の有名人が良いとか使っているとか云うと、多くの人達はそれが正しいことだと思ってしまうようです。
 例えば、住宅づくりで住宅誌やネット情報の中に、居間から階段を付けるのが最良です。子どもさんが外から帰って来た時に必ず親の目に届くところを通って個室に入って行くので、子どもの状態が良く分かるので安心と…。これをメリットとするならば、逆にデメリットがあることも考えてみることが必要です。
 居間から階段を伝ってニオイや音が昇って行く事や、思春期の子どもにとってはいつも親が自分を監視しているようで嫌だと云った声も聞こえて来るようです。自分を信用してないのでは、と子どもは思ってしまうのでしょうか。 又、住まいを造る時、先人の言葉を思い出すのも一つです。

乳児は肌を離すな!
幼児は手を離すな!
少年は目を離すな!
青年は心を離すな!

 とにかく、子どもがどのような人間に育って欲しいか、親としてどう関わって行きたいか考えて住まいづくりを決めることが必要なのでは…。
 人は他人の為に何か役立つことをしている時、キラリと光輝いているものです。子どもにとって何が大切かをよく見極め判断して頂き、事を進められることが良いのでは、と思います。
(H29.3)

新年にあたって

 皆様、新年はどのように迎えられますでしょうか? 私は大晦日恒例の紅白歌合戦が終わってから、地元の白髭神社に参拝し、そこで新年を迎え帰ってきます。
 そして、明け方まで一眠りし、早朝四日市港の埠頭で日の出を見ることが常となっております。毎年多くの人達がいらしてます。初日は格別の思いで見るせいか、厳かな気持ちにさせてくれるから不思議です。自ずと太陽を拝礼する気持ちが起こり、手を合わせてしまいます。
 太陽の光が私に大きな力を与え、今年一年元気に過ごすようにと、言葉を頂いているように思えます。
 ところで、人間はこの様に自然から影響を受けると同じように、生活空間からも大きな影響を受けています。先人達が云ったように「居は気を移す」(孟子)、「住まいは人間形成の道場」(松下幸之助)などが、その影響力の大きさを唱えています。
 私も住宅環境グループに所属していて、その重大性に気付き、これから住まいを考えてみえる方、又住まいをお持ちの方々にお伝えしています。
 今年は、より進化して「住まいと心身の健康」の因果関係を、医療に携わる人たちと共に勉強しながら、住まいが人間にどのような影響を与えるか、又心身を蝕んで行くかを知り、住まいから病気の予防が出来るよう、間取りや使用する資材を研究して行きたいと思っています。
 今年一年、人の幸福を願って住まいづくりに邁進して行きますので、皆様方の応援を宜しくお願い申し上げます。

合掌

(H29.1)

平成28年

住宅は間取りが命

 住まいを造って欲しいと、当社を訪れる友人や知人がいます。その中でも「息子たちが家を建てるので相談にのって欲しい!」と云う内容が多いよう思います。その方の息子さん達は既に多くのメーカーや住宅会社を廻っておみえです。
 先日も同居の住宅を建てたいと云う方が来社されました。もう既に某メーカーでプランを作成してもらい、概算も出ている様です。参考にと図面を見せて頂きました。私がそのプランを見て直ぐ思った事は、親の意見が残念ながら反映されてないこと。お聞きするとプランの打合せは息子さん夫婦が中心となって間取りを進めていらっしゃるとの事です。
 私はその方に、せん越ではございましたが、プランづくりに限らず、参加した方が良いと伝えました。自分にとって使い勝手の悪い計画のまま家が出来てしまうと、そこに住んでから自分の居場所がなく毎日強いストレスを受け、自分自身が病気になるのでは(?)とお伝えしました。
 私も永く住宅づくりに関わらせて頂いてますと、色々なお話しを見聞き致します。借家生活ではとても仲の良いご夫婦が、新築した家に移られ暫くして離婚したとか、同居が上手くいかず息子さん夫婦が新居から出て行ってしまったとか…
 どうか、大金と資源の無駄づかいを無くすよう、プランづくりは住む人全員の納得いくまで話し合って造って頂きますようお願い申し上げます。
(H28.10)

家庭菜園

「中村さん、土地を貸してあげるから家庭菜園をやってみないか?」と身近な人から云われて始めたのがそもそものきっかけでした。最初の頃は土地も肥えていたのだと思いますが、苗や種を蒔けば、そこそこに作物が育ち、収穫も出来ました。
 種を蒔けば芽が出るものと思っていましたが、そう単純なものではなく、種が古かったり蒔く時期を間違えると発芽しないことも自然から教えられました。又、芽が出てもそのまま放って置くと発育が悪く、どうしたものか(?)と思っていましたところ、お百姓の方から、野菜も人間と同じで言葉を掛けたり、時々様子を見てあげたりする事が大切ですよ!と云われました。
 確かに生き物は、人が愛情を掛ける程、それに応じてくれる事を知りました。これは私共の仕事においても同じ事が云えると思います。
 お客様のお住まいを造らせて頂くに当たって、その人たち家族のことをどれだけ思い、愛情を掛けて造らせて頂いているか(?)と同じであることに気付かされました。何事も手を抜かず、誠心誠意、物づくりをする事が結果として、良いものが生まれる事を改めてこの家庭菜園を通して教えられました。
 自然から教えられることが沢山ありますね!
(H28.8)

オリンピックに思う

 オリンピックが始まり四年に一度、世界各国の人種も習慣も異なる人たちが集まってスポーツを通じ、皆楽しんでいますが、この様な状況を観ておりますと、何故世界から戦争が無くならないのかと疑問に思う人たちが多い事と思います。私もその一人。
 そこで、私の少ない経験の中から、世界の人々が仲良く暮らしていく方法を考えてみました。先ずはそれぞれの民族・習慣を認め合うこと、そして民族ごとに国を造ることが前提の条件です。
 もう一つは、地球は皆んなのものと云う意識をもつこと。人間はこの美しい地球に生まれ、自分に必要な体験をする為に生まれて来たと考えてみましょう。自然の驚異・恩恵を享受しながら、各々の役割を果たすべく生かされていいます。
 これまで人間は与えられた地球の環境の中で、より豊かな生活をするため知恵を働かせ、物質文明をつくり上げて来ました。そして豊かになる方法を見つけ、それらを利用して、充分に豊かな生活が出来るように成りました。
 しかし残念な事に、一部の人間は物質文明のみに目を奪われて、生物として暮らしている地球の環境、すなわち自然が循環することで成り立っている事をすっかり忘れてしまっているように思います。
 有限である世界、地球上で人間が楽しく豊かに生活するには、人間だけでは生きられないこと。一個人では生きられない事。生きとし生けるものの力なくして生存できない事実を再認識することです。
 さらに、一人ひとりが地球に生まれて来た意味を考える時期に来ていると思うのです。
 楽しく一生涯を過ごす。その為だけでは無いと思います(金儲けが全てでない事はご承知の通り)。自分の人格を上げる! この事こそがこの地球に生まれて来た目的ではないでしょうか(?)
 オリンピックと云うこの機会に今一度、思い起こしてみてはどうでしょうか?
(H28.8)

店の選び方

 私の年齢になると時代の早い流れに乗るまいと、少しへそ曲がりな考え方をしてしまいます。しかし、ついつい便利なことに手を出してしまうのも事実です。
 私は二年程前までは、月一回程決まった理髪店に行っていましたが、ある時そのお店が休みの時、散髪することが必要となりました。ふと以前に髪を切ることだけを専門にしている所があるとの情報を思い出し、そこに行く事にしました。カットだけですので、10分程度で終わり、時間も短縮されて、その日はこれも良しとの思いで帰りました。最近も見栄えを気にしなくなり、そこに行く事にしています。
 そこで出会った散髪をしてくれる人と話す機会があり、こんな事を尋ねてみました。
「貴方は困ったお客さんに出会うことがありますか?」
 その方が云うのには、髪を切るのにあれこれ細かく注文を付けて、なかなかカットさせてもらえない客がいるとのこと。私達はお客様に喜んで頂くのが仕事ですが、カットする時間も10分で仕上げることをお約束している身であると、細かい注文を付ける方にはもっと価格も高く、ご自分が納得出来る店に行って頂いた方が良いのでは(?)と云ってみえました。
 私もコダワル人は、それにふさわしい店や職人を選んでお願いすることが、お互いに気持ち良く過ごせるものと思います。
 自分の思いを大切にしたければ、それ相応にふさわしい店を選ぶのが得策かと思います。
(H28.6)

ゆっくりの勧め

 最近は運動不足のため、出来るだけ階段を使って昇り降りするようにしています。特に駅では、その事を心掛けていますが、建物の中に入ると階段が隅の方にしかなく、ついついエレベーターを使うことになります。
 エレベーターに乗ると、殆どの人が行き先階のボタンを押すと同時に「閉じる」のボタンを無意識のうちに押してしまっているようです。一般にエレベーターのドアが自動的に閉まるまでの時間は僅か四秒程です。そこには訳もなく急いでいる自分がいます。
 先日、偶然にも順天堂大学医学部教授の小林弘幸さんの「ゆっくり動く」と、人生が変わるとの本を読みました。
 自律神経のバランスの乱れが万病の元だそうです。自律神経とは、ひと言で云えば内臓器官の全て、とりわけ血管をコントロールしている神経です。そして、人間の生命活動に欠かせない「呼吸」も実は自律神経がコントロールしているとの事です。
 交感神経と副交感神経の役割として、前者は緊張興奮の神経で、後者はリラックスの神経だそうです。そのバランスは一対一です。しかし、現代日本人は交感神経優位の人が圧倒的多数だそうです。
 では、副交感神経の働きを高めるにはどうしたら良いのでしょうか(?)
 とにかく、様々な動作を「ゆっくり」行う事、そうすれば自然に呼吸がゆっくり深くなり、自律神経のバランスが整います。そうすると、血流がよくなり、細胞の隅々まで質のいい血液が行きわたるようになります。
「ゆっくり動く」ことで「血流の滞り」がなくなり、偏頭痛や肩こり等が自然となくなります。
 先ずは、試してみてください!
(H28.6)

小さな旅

 今春三月末に、好意にして頂いている画家先生のご友人のお誘いもあって京都太泰にある東映の映画村を見学することになりました。ご友人のY氏は、元映画村の舞台監督をされていた方で、小津監督等往年の映画を作られた人の元、映画のセット企画を数多く手掛けたひとです。
 その方の案内で、約三万坪と云う映画村の中をあちらこちら案内して頂きました。今は、映画づくりも時代の波に押されて撮影される件数が昔に比べ極端に減り、又、お金や時間を掛けて作られる映画も無くなり、寂しい限りであるとの事。
 唯一、子供向けのレンジャーもの、又、忍者ものが殊の外、人気なのにはびっくり! この様な機会を頂いて色々な事を発見出来たのはラッキーでした。
 又、この度の旅で体験したことの一つに、京都へ行く方法ですが、私が直ぐに思いつく方法としてJR新幹線で行くか、近鉄特急で行くかしか考えませんが、今回ご一緒させて頂いた画家先生は「中村さん、“旅”と云うのは早く現地に行くだけでは旅とは云わないのですよ。旅と云うのは、行く道中も楽しみながら目的地に行くものだ」と云うことを教えて頂きました。
 だから、京都まではJRの普通電車に乗り、乗り替えも含め朝、七時過ぎから夕、七時過ぎまでのゆったりとしたもの。その車中では乗客の人と言葉を交わしたり、車中から見る田園風景や山並みを楽しむことが出来ました。
 改めて、旅と云うものの楽しみ方を教えて頂いた気がします。皆様も時には時間に縛られることのない、穏やかなひとときをお過ごしになられてはいかがでしょうか?
(H28.4)

駅弁

 これから新緑の美しい季節になります。春から初夏へ何をするにしても心がウキウキする時節です。私は以前から仕事の関係で東京へ行く事が度々あります。
 帰る頃は夕方となり、家に戻れるのが遅くなりそうだと大抵は東京駅で美味しそうな弁当を探し、新幹線内で食べるのを楽しみにしています。弁当を買う時、いつも不思議に思うのですが、弁当が腐らないようにと、賞味期限と添加物名が沢山並べて表示されているのは、皆さん既にご存知のこと。
 私の感覚から云うと、弁当というものは、その日の内に食べるものであって、2〜3日も経った弁当を売っているのか(?)と思ってしまいます。最近、読んだ雑誌の中で、納得いく記事が見つかりました。弁当や食材を卸している社長様の話として、その会社に勤めている人は、自分の卸している所が作っている会社の弁当は食べず、持参してきた手弁当を食べるとのことです。
 何故かと云うと、弁当やお惣菜は国からの厳しいお達しで、17時間以内で一切、菌が発生してはならない事になっている。配送時間も計算に入れると、その会社では21時間無菌を保つために、本当は入れたくない添加物や薬品を大量に使っているとのことです。
 そのような弁当を食べると、人間の体内に生息する有用な細菌まで殺されてしまい、免疫力が低下(著しく)、すぐに風邪をひいたり、感染症にかかり易くなったりして、体が弱くなるようです。常食としないよう気をつけたいもの。
 それにしても、便利で美味しいので、ついつい買って食べてしまいます。自己責任で参りましょう!
(H28.4)

健康ブーム

 最近は健康ブームです。特に口にする野菜や水について気にする人が多くなって来てます。私の所へも今、流行りの水素水を色々な方が勧めに来ます。これも現代人にとって必要なのかも知れません。これまで蓄積され酸化されてる身体を中和させて健康体に戻す訳ですから…
  又、食の方では今、出来るだけ農薬を使用してない作物や遺伝子操作をなされてない物を食べるよう気を付ける若いお母さん方が沢山みえます。大切な我が子への食べ物には極力気を付けておられるのは良い事だと思います。
 ところで私は、住まいを造る者として住まいの中でも、私達の身体を酸性化から守ることが必要だと思うのです。その方法の一つとして、住まいの中でストレスを感じたり身の緊張を和らげる室内環境づくりが大切であると思っています。住まいは家庭づくり、家族との会話が弾む居間・台所・食堂のつくり方を考えなければなりません。
 又、使用する材料によって、知らず知らずに健康を害する物がある事も知る必要があると思うのです。日常、使用する住宅設備機器類も同様。その辺の所をよく勉強し、住まいを造られることをお勧め致します。衣・食・住の三つが正しく整って、人間の身体は健康に保たれます。又、良いからと云って、片寄った取り方は止めましょう。
 何事も調和(バランス)が第一である事をお分かり頂いた上で、宜しくお願い致します。
(H28.1)

平成27年

離婚は避けたいもの

 貴方の身近なところで、家を新しくして幸せそうに引越し、住んだと思ったら、いつの間にか離婚してしまっている夫婦の話を見聞きしませんか(?)
 私達は住まいづくりをする職業人として、その原因が住まいの環境にあると以前から思ってきました。私共に住まいを新築しようと思った方や、リフォームを考えておられる方が住まいの勉強会にお越し頂きます。その方に、そう云う事実がありますか(?)とお聞きしますと、そう云われれば私の友達もそうでしたと言われます。何故、幸せであった夫婦が別れる事になったのでしょうか?
 私はその原因の一つとして、そこに同居する人達の合意した意見が、そのプランの中に入っていなかったからだと思います。夫婦は初めは赤の他人です。生まれも育ちもそれぞれ異なり、一人として同じ環境・境遇の人はいません。同じ環境で育った親兄弟でも、それぞれの考え方、思いが違います。
 その考え方、生き方をお聞きした上で、上手くすり合わせをしプランしない限り、誰かが我慢・辛抱をしなければなりません。それが本人のストレスとなって、別れの原因を作ります。それを無くすには調整役が必要です。住まいや人生の事に関して良く熟知した方々の指導が必要だと思います。
 高い買い物である住まいを造る時には、そのような人を是非、介添えとして利用されますことをお勧め致します。住まいは建物の強さばかりでなく、そこに住む人の環境を整えることが非常に大切であることを肝に銘じて頂きたいと思います。
(H27.10)

常識と非常識

 日常に生活して行く中で、人々は時代の変化と共に考え方を変えて行っています。昨日まで一般的だと思われていた事が時代の流れと共に変わって行く事は当然のことかも知れません。しかし、私達が一般に云う常識と云う言葉の曖昧さと恐ろしさを知っておくことも必要ではないかと思います。
 時として常識がマスコミ等によって強調されるが為に、一般の人々はその意味合いを深く考えもしないで信じて行動に移す場合が多いように見受けられます。例えば、今、私共の建築業界で一般常識として世間でも云われている言葉に「住まいのバリアフリー化」をしましょう!と云うのがあります。
 この事は昔の日本では足の不自由な人達が街中で生活する場合に、段差があったり階段では高所に移動出来ないと云うことで、公共の場ではエレベーターの設置やスロープ、障害者トイレが設けられてきたことは良い事だと思います。しかし、家の中まで全てバリアフリー化する必要があるのでしょうか(?)
 確かに、障害者になった家庭ではそれが必要ですが、健常者が前もってそうならない為の予防としてバリアフリー化をする必要があるのだろうかと思います。普段の生活に段差は必要です!段差があることによって、自然に足腰が鍛えられ筋肉がつくられます。
 最近、都会の人達の歩く様子を見ていると、特に若者が足を引きづって歩いている姿を多く見受ける事があります。少しの段差でけつまづき、骨折する人も増えたようです。
 健康な身体づくりは、日常生活の中にあります。面倒がることを止め、身体を出来るだけ動かすことが元気で長生きするコツであると思っています。皆様は如何思われますか?(H27.8)

世の中を楽に過ごして行くには

 私も含めて、人は楽に楽しく生活が出来ればいいと思っているのではないでしょうか(?)。私もすぼらな人間ですから、楽に世の中を渡って行く方法はないものかと、これまで探して来ました。そこで最近、それを自分なりに見つけたと思えますので、その事について少し書いてみたいと思います。
 この世は大きな宇宙の流れがあり、全てのものがその法則に則って運ばれていること。一番身近な例は、全ての生き物は誕生したら必ず亡くなるということ。生死から逃れられるものは何一つとして存在しないと云う事実です。そしてさらには、宇宙の影響からも逃れる事が出来ないと云うことです。
 ご存知のように、人の誕生は潮の満ちた時、逆に死は潮が干いた時、又、人間の呼吸・脈拍・体温はもちろん、女性の生理、又、植物の成長にも月の影響があるようです。人が幸せな生活を送るにも、私は法則があると思います。私は商売をしていますからその観点からお話をしますと、商売人として仕事を繁盛させるには利他の精神、つまりお客様の幸せを常に考えて、近江商人は“元より売り手よし・買い手良し・世間良しと”、この三方良しの考え方がきちんと根付いていればどのような商売でも成功間違いなしとまで云われています。実際日本で200年〜300年も続いている老舗は、大なり小なりこのことを守って商売してこられています。
 これまでの世の中は損得だけで動く企業や人が多いため、世を悪くしてきているように思います。
 これからの時代は、日本の先人達が培って来た自然の法則を今一度思い出して生活して行って頂きたいものです。買い手のお客様も売り手の気持ちを理解し、お互いが良い関係でご縁を繋げて行く事が大切だと思います。
 身勝手な人、我がままな人は自然の法則から外れている訳で、外れていると因果の法則によって、自分が痛い目に合うと云われる所以では?
 お互いに気を付けましょう!
(H27.7)

結婚

 春の訪れと共にめでたくご成婚を云う方もおみえかと… 結婚は若い男女が出会って、これから新しい家庭をつくる出発の第一歩です。どんな家庭をつくるかは、これからの二人の人生観と努力によって、良くも悪くもなります。
 是非、万人が認める良き家庭を築いて頂きたいと思います。と云いますのも、家庭は、社会の良し悪しを決める原点です。世の中の人たちが住みよい平和で安心の出来る社会を望むのであれば、なおさら一人ひとりが家庭の在り方の重要性に気付き「良い家庭づくりとは何か?」を考え、造り上げていって頂きたいと思うのです。
 私の考える良い家庭とは、愛・和に満ちた家庭づくりではないかと思います。夫婦は合わせ鏡とも云います。相手の欠点は自分にもあるから、気になる訳です。
 男と女、互いの立場を認め合いながら、心の成長を遂げることです。又、これから二人の間に子供が授かったなら、子供から色々なことを学び、子供が成長し親の手を離れる頃、やっと二人は一人前の大人に成長するのかなと思います。
 さてここで、友人から送ってもらった小冊子に書かれていた中から、子育てについての大切な事が…
①乳児は、しっかり肌を離すな!
②幼児は、肌を離せ、手を離すな!
③少年は手を離せ、目を離すな!
④青年は目を離せ、心を離すな!
 これから歩き始めんとされているお二人の生活の参考にして下さると嬉しいです。
 この度は、おめでとうございます。
(H27.5)

当たり前の事を当たり前に行うこと

 私の家族は集まると食事の後、よく話し合いをします。先月末も息子の一周忌法要もあり、横浜在住の娘婿と話をする機会がありました。
 話の内容は、たまたま私が職業としている住まいづくりについての話しとなりました。私は彼に住宅は「当たり前の事を当たり前に造ることだ」と云いました。例えば、地震や台風に強い住宅を造ることは大切であるが、それ以上に室内外の環境が大切であること、風の流れを考えて窓の大きさはもちろんのこと、窓の形状についても引き違いか、片開きか、地窓か、天窓か等、それぞれの役割に合わせて選択し取り付けることが必要である事。
 又、光の入れ方も太陽の光線(赤外線・可視光線・紫外線)の特性をよく調べメリット・デメリットを考えた上で各室に採る込むことが大切である事。はたまた、室内に使う材料もコンクリートや金属、プラスチック等の工業製品が人間に与える影響力の大きさと、木材のような自然素材のメリット・デメリットをお客様によく理解、納得して頂いて住まいづくりをしているとの話をしました。彼が申しますに「お父さん、そりゃあ当然そうするべきでしょう!」と… 私が正直驚いていると、「住宅の専門家である以上、それぐらいは知っており、その上での設計・提案とばかり思ってました。」私は少し恥ずかしい気持ちになりました。
 この度の事を踏まえ、今の専門家である人達全てが、この事をもっと真剣に受け止め、住まいづくりに携わらねばならないと思うのです。皆様の身近にいらっしゃる人達は如何でしょうか?
(H27.3)

本年もよろしくお願い申し上げます。

 今は便利な世の中になりました。携帯電話を一つ持っていれば、その時必要な情報が瞬時に取り寄せることが出来ます。有難い世の中でございます。
 しかし、沢山な情報が得られる反面、その情報が自分にとって正しい物なのか否かを見分けることは、とても難しい事だと思います。その見極める方法として、基本的な立場、人の安心平和に役立つものであるかどうかで判断するのも一つではないでしょうか(?)
 今、人々は昔に比べ大きなストレス(不安)を抱えているのではないかと思います。競争社会の行き過ぎによる精神的ストレス、自然の空気・水・土の汚染、それらによる食物への不安等、皆様も既にご存知のことばかりです。その様な中で私共は、少しでも世の中を良くしようとの思いから、住まいづくりから見た物と心の安心安全はもちろんの事、平成25年から義理の息子が始めた「食」についても、新年から無農薬に近い栽培方法・地中の微生物の働きを生かす方法で引き続き作って参ります。双方共、私は自然の力を最大限引き出すことが大切だと思います。
 例えば、住まいを造る場合でも出来るだけ自然の恩恵である光・風・水・土と云ったものが持つ特性を上手に取り入れて造ることが良いと常々思っています。
 光の中でも殺菌性のある光線と云われる紫外線、これを居室に取り込む事により、空気中に浮遊するバイ菌を減少させる事が出来、この時期、風邪を引きにくくする効果も考えられます。この様に、お金をかけず安心安全な生活が出来ることが沢山あります。今年はその考えをより広く発信して行きます。
 どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。
(H27.1)

平成26年

その一「年輩者を元気にする」の巻

 最近の新聞やテレビの報道で若年者の体力が統計を取り始めて(東京オリンピックの後)から年々低下しているとの事。逆に最近の65才以上の熟年者は、体力が増強しているとのことです。確かに私が若い頃のお年寄りを見て感じた事と、今の年輩者を比べてみると10才位は若いのではないかと思います。
 何故その様に若くなったのか(?)と思うのは、食生活が良くなったのもありますが、一つは自分なりにやる事を見つけ、人の為に役立ちたいと行動している人たち、又、身体を動かす事と、ジョギングや山登り、畑仕事等、自然に触れる機会が多い人達がいるのも事実です。私の廻りを見渡しても、その様な人達が多いのが現状です。
 よく食べ、よく行動する人達が概して元気なようです。この様な状況を見ていると、元気な年寄りたちを世の中はもっと上手に使う事を考えてみたらどうでしょうか? 楽しみながら、それでいて身体も健康になり少しは人の為に役立つ事を考えていけたらと思います。一例ですが、先日テレビの放送で自分達が作った作物を自分達で値付けし、それを売っている道の駅が紹介されていました。このような取り組みが世の中に広がっていくと認知症もなくなり、ピンピンコロリと、世間で云うように病気を自分で作っている人達が少なくなり医療費もかからず、国の財政も豊かになり、税金も安くなる方向に向かうのではないかと思います。
 年寄りが増えることが悪いのではなく、その人達を如何に有効に動かすかを考えていく事が、より豊かな社会を作ることになると思います。
 元気に歳を重ねて行きましょう!

その二「身体の健康について」の巻

 文明が進み他の国に比べて、安心・安全な生活が出来るようになった日本では、このところ心身の健康について考え、行動する人達が増えてきました。その事もあって、マスコミでもそれについての情報が巷では溢れています。しかし、その情報の内容を吟味しないとかえって健康を損ねる事になります。 ところで、食の安全で真っ先に思い浮かべるのは、お米ではないでしょうか?最近、米の偽装問題があったばかりです。国産米と偽って中国米やその他、質の悪い米を国産として売っていた事です。
 もう一つ、米で云う安全なものは出来るだけ農薬を使わない米を作る事です。病虫害が発生すると云って、すぐにそれに頼るやり方は如何なものかと思われます。ある農業従事者の話によると、生命力のある野菜は虫や病気にかかりにくいとの事。虫に多少食べられる事があっても、少しだけだそうです。弱った野菜は、虫や病気を引き起こす菌も野菜が弱った事を察知するとの事です。
 作物を育てるには、山の栄養物(ミネラル)をたっぷり含んだ川の水を使うことが一番だそうです。井戸水などはミネラル分が少ないのと、その補給が充分なされずに育った野菜は日持ちせず、直ぐに腐ると云われます。実感された方も多いのではないかと思います。
 このような野菜を食べても、その補給にサプリメントを飲んだりしていますが、自然のものから摂取する事には勝てません。弱い体、すなわち免疫力のない身体になり直ぐ風邪を引いたり、なかなか病気が治らなかったり…
 これと同じ事が住まいにも云えます。生命力のない人工資材で作られた室内は、人間の生命力を減退させます。出来るだけ自然素材を使い、光を入れ空気や湿度が流れるように住まいの室内空間を作ることです。
 自然のエネルギーを上手に取り入れ生活することが、健康でお金も掛からない方法ではないかと思いますが、如何でしょうか?
(H26.10)

公共建築の木造化を!

 このところ人間性を疑うニュースがテレビや新聞を通して伝えられています。先日も女子高校生が同級生の女の子を殺め、その遺体を一部解体したと云う報道がありました。私達の幼年期や少年期に蛙や虫を殺すことはあっても、人間を殺めると云うところまでは行かなかったのでは…。 この事件に対する色々な見方はあると思いますが、私は家庭の環境に問題があったのではないかと思います。昔から「三つ子の魂百までも」と云う言葉がありますように、3才までにその子の基本的な性質や性格が決まると云われています。幼児は母親のゆったりした気持ちと肌の温もりが一番だと聞いています。 母親が十分安らげる住まいでなかったのではないかと思います。又、その後の成長期の環境も子供が何処か安らげる場所がなかったのではないかと思います。 私が以前、保育園の園長さんに聞いた話では、家庭環境が悪くても、その子を預かる保育園の環境が良ければそれをカバー出来るとの話でした。その保育園は木造でつくられています。私は子供達が通う学校も木造化を進めると共に、そこで過ごす教室等の環境をどうしたら子供達が落ち着いて勉強や人間性をつくれるかを研究してつくるべきだと思います。又、既に造られた学校も環境の面から、再度見直すことが大切と考えます。 そうすれば、将来、父兄や住民から「昔に比べて今の子供達は随分落ち着きがあり、生活態度も良くなり、勉強も出来、学力アップしたなぁ」と云われるようになると思います。
(H26.8)

自然が人間を元気にする

 私は農耕民族の面を受け継いでいるのか、農業に興味があり、今も狭い土地を借りて時間があれば野菜づくりをしています。
 野菜に接していて思うことは、作物を作ることは簡単ではないと云うことです。日々の天候を見たり感じたりしながら、又は季節の移り変わり、月の運行をも考慮に入れながら作物を作ると良い物が出来ると聞いています。
 私には到底出来ないことですが、ただ私は植物の生長していく様子や土に触れる感触が好きなのです。こう云った時間は、日常の仕事のことを忘れ夢中になれて、身も心もリフレッシュ出来るのです。
 この様なことをしていると、農業を営んでいる人達と話をする機会もあり、たまに面白い話を聞き、驚くことがあります。先日聞いた話ですが、その人は以前働いていた農業研修場での体験談を語ってくれました。
 海外からの研修生(主に東南アジアから日本の農業を勉強に来ている人達)と一緒に日本の若者を更生する(施設の入所者、引きこもり等、心の病を持った人が多かったようです)場所として使われていた所。問題を持った若者達と一緒に作業をしたそうですが、最初は無言で避けていた若者が三日もすると向こうから挨拶し、話してくれるようになったそうです。
 人は、自然(土)に触れることによって地球からのエネルギーを自分の身体に取り込んで、元気になるようです。今の人達は、人工的なところに住み生活している事が多く、心身のバランスが崩れているのでしょうか(?)
 人間は自然の一部です。住まいも自然を取り入れたものが心身を元気にするのではないかと思います。その事に気付いて頂くのも重要ではないかと思うのですが…
(H26.7)

住まいづくりの要点

 40年以上、お客様の住まいづくりに係わらせて頂いてきて、この事だけは是非心に止めて住まいを造って欲しいと願うことがあります。それは、住まいづくりは家庭づくりであると云うことです。
 家庭は、生まれも育ちも異なる男女が出会って結婚することから始まります。やがて子供が出来、またその子育ての時期を経て、又その子が家庭をつくると云う事の繰り返しです。そう云った中で、経済的に余裕の持てる方が住まいを新築したり、リフォームをされます。
 住まいを造る時、特に気を付けて欲しい事は、夫婦同士の思いやりです。経済的な余裕を生み出すのも一人では出来ません。夫婦がお互い協力し合うからこそ、それが可能になった事を喜び合い、忘れないのだと思います。
 ご主人は奥様の日頃の生活でストレスを感じている水廻りの事に理解を示し、奥様はご主人の安らぐ場所として書斎などを間取りの中に入れてあげるのも一つかも知れません。又、夫婦は冒頭にも書きましたように、生まれや育ちが異なり、それに加え男性と女性の生活スタイルが異なることを念頭に、間取りの計画をする事が大切です。
 相手の事を考えず、自分勝手に事を運び間取り計画をしてしまうと、後から大きなしっぺ返しがその夫婦に生じることを、私は多くの実例を通して見てきました。夫婦がお互いに納得の行くまで、間取り計画を練ることが必要です。その計画を練る為には、夫婦間だけでは上手く話が進められません。お互いの思いに寄り添い、間取りをまとめてくれる人に入って頂く事が大切だと思います。
 一生に一度の大きな買い物です。後日、くれぐれも後悔のないようお願い申し上げます。
(H26.5)

建築士の社会的責任

 私は今、71歳になりますが、子供が生まれる時から地球環境や地域の自然環境の汚染や破壊に対して、大きな関心を持つようになりました。
 そのような中で、オイスカというボランティア団体にも出会い、東南アジアを中心に植林のボランティアにも参加して来ました。そのような下地があったからかも知れませんが、今から15年程前に最も身近な住まい環境について研究しているグループに入ることになります。
 そのグループは冨田辰雄という大工職人が作ったグループで、1966年エール大学教授ハンチントン博士の論文の一説から、住宅が「中心的生活環境」であることに気付かされ、その住宅環境作用が住む人の人生、すなわち人の幸・不幸を左右するものだという事を教えられました。私は住宅を提案・提供する者の一人として、その責任の重要性を感じ、住まいづくりに取り組んでいます。今、住宅業界も少し環境のことに関心を持つ業者も出てきていますが、未だ未だのように思います。
 環境があらゆる生物を支配している事を否定する人は居ないと思います。住宅づくりにおいては、自然と調和し、又、共生できる正しい住宅環境づくりが急務と思います。特に、再生可能な材料であり、全ての生き物が好み、朽ちてもどのような環境にも弊害を生じず、また生物に必要な水を溜め、酸素を作る上でも重要な働きをする木材を使わない手はありません。
 心ある林業家に云わせると、今、日本の森林は本来の機能を果たしていないと云われています。
 住宅はもとより、子供たちが勉学する学校、幼稚園から大学まで全ての建物にこの「木」を使うことが森林を再生させ、壊れかかっている自然の循環を元に戻すことが、私たち建築士の役目であるように思います。皆様は、どのように思われますか?
(H26.3)

文明の行き過ぎ

 紅葉の時期に設計事務所の先生方と京都府の美山町に行きました。ここでは、今では他でなかなか見ることが出来ない茅葺きの民家が30戸程の集落として残っているところです。
 豊かな緑と清らかな水の流れを持つ自然美豊かな農山村地で、国の重要伝統的建造物群保存地区として、今も村人が5,000人程生活をしています。建物の構造は、屋根は茅とワラを使い葺いてあります。この集落の建物を維持していく為、特に屋根の葺替えには村人達が総出で行うとのことです。
 各家の葺替え時には老若男女にはそれぞれ役割があるようで、その事が村の人達の絆を一層強くしているのではと思います。このような所に住む人達には、今、世間で騒がれている認知症になる人達は少ないのではないでしょうか。その理由として、人と人との関わりが濃く、人に役立つ人間として人から認められる存在であること、又、日常生活では手足や頭を使わないと生活がしていけないし、多少の不便不都合もあって我慢や辛抱も要求されます。このような条件が予防に役立つのでは(?)と思いますが、皆様はどう思われますか?
 今、どんどんこの病気が増え続けているのは、もう一つ、便利すぎる生活があるからだと思います。手足を使わなくても指先だけ、例えばボタンを押すだけで掃除が出来てしまう(身体の不自由な方は別として)ロボットとか、店に行けば出来合いの食べ物が一人用から多人数用まで用意されていて、頭を使って料理をする必要もなく生活出来ます。
 このような文明の行き過ぎが、多くの新しい病気をつくっているように思えますが、如何でしょうか?
(H26.1)

平成25年

林業を見直そう!

 今年の森林ツアーは、大台町へ行こうと思い、先日、下見に行って来ました。今回、お世話になるのは藤原林業さんと云って、政府の補助金に頼ることなく、自立した林業を目指しておられる会社です。林業は農業と一緒で、国の基幹産業であるにもかかわらず、仕事がハードで生活が苦しい為、年々その仕事に就く人が減っています。
 私は及ばずながら、少しでも林業の人達が生活出来る為にと、10年以上に渡って一般の方々(特に子供を含めた若い人たち)に木がどの様に育てられ、それを私たちが生活の中でどう活かしているか(?)、又、木の役割についても理解して頂こうと努めています。以前にも紙面で書いたと思いますが、木の特性はその木が伐採されて尚、人の生活の中で脈々と生き続けていると云うことです。
 木は空気中の炭酸ガスを溜め、又、住まいや学校に木材として使用される時、空気や湿度の調整を自然の力で行うことに役立ち、人の心に安らぎを与える材料として昔から広く使われています。又、木は朽ちて自然に返る時、弊害もなく(自然界に対して)大変優れた材料だと思うのです。そして、この材料を造るには、育てた苗を山に植えるだけで何処でも育ち、地下資源のように掘り過ぎて無くなってしまうものでなく再生される材料で、自然が人間の為「これを有効に使いなさい」と云って私たち人類に与えられたものだと思えるのです。
 今の世の中は、空気や水が汚染されて生物が住めなくなるのでは、と云われている時に一人でも気が付いた人が行動を起こす時に来ています。住宅はもとより、学校・公共建物から木材の利用を進め、林業で生活が成り立つ産業に育て、農業と一緒に第一次産業を活性化させる事が、今、一番求められていることではないでしょうか?
(H25.11)

お白石持ち行事に参加して

 今回、縁あって伊勢神宮の式年遷宮の際、行われる「お白石持行事」に参加する事が出来ました。この行事は10月に斎行される「遷卸の儀」に先立ち、新宮の御敷地に白石と清石(黒い石)が敷き詰められます。その内、神様が御鎮座する御正殿を囲むのは白石です。この白石を奉献するのは伊勢の神領民のお役目とされ、「お白石持ち行事」は約550年の伝統として受け継がれている訳です。
 「お白石持ち行事」の準備は、2〜3年も前から各町の奉献団が清流宮川にて握りこぶし大の石を拾い集め、新しい樽に詰められ清浄な場所に保管された物を使います。 「お白石持ち行事」の本番は7月〜9月です。今回は77の奉献団と全国から集まった約7万人の特別神領民が参加し川曳きと陸曳きによって、お白石を内宮と外宮に運び入れます。私は8月10日(土)に内宮の陸曳きに参加しました。
 早朝より、内宮駐車場にて結団式が行われ、先ずはそれに参加しスタートです。この日は各地で38℃〜39℃と云う猛暑日でしたが、皆、帽子から靴に至まで白一色で参加、又当日は鈴木三重県知事も参加され、一緒に奉曳車を引きました。奉曳車には、2本の太い綱があり、その両側に人が並びます。又、綱を引く位置は決められていて各自それぞれ木札についた丸い玉が目印なのです。1の玉から4の玉まであり、曳車に近い方が4の玉です。
 伊勢の奉献団の人の木遣り「エンヤ」の掛け声で心をひとつにして引きます。私の引いた車は、おかげ横町の商店前を通り、宇治橋を渡る鳥居までです。そこから宇治橋を渡り、手を清め、神宮のお祀を受けて白石を受け取り、新しい神殿に向かいます。いつもの参拝とは異なり、正殿に向かう時の気持ちの高まりは表現出来ない程でした。
 真新しくなった正殿は凛とした佇まいでいて、心のやすらぎまで感じます。また、感謝と喜びが湧き上がって参りました。このような体験をさせて頂いた伊勢市民の皆様や造営にかかわられた皆様方に、ただただ有難うの気持ちです。体験に感謝です!!
(H25.9)

感謝の気持ち

 当社には、もう10年の長きに渡って「住まい教室」に通ってきてくれている瓦職人がいます。彼が初めて我社へ訪れて来たのは20歳頃だったと記憶しています。学校を卒業し、親の会社に入ったばかりで世間の事を何も分からぬ中で、彼の父親である親方から、どう云う訳か、我社で勉強して来る様言われたそうです。
 最初の頃は、親方から半強制的な事もあり、仕方なしに月一回、仕事を終えてから夜、同僚3〜4人と通って参りました。
 一日の仕事の疲れもあり、居眠りすることが続きました。そうこうする内、彼も結婚し子供が生まれてからは、親としての自覚も生じたのだと思いますが、常々に住まいづくりの勉強を通して、人としての在り方に目覚め、真剣さが加わって行ったのです。彼の考え方の中に私達が目指している住まいづくり、お客様が末永く幸せになって頂くには、幸福の条件を間取りに組み込む事はもちろん、その為には造る側が、先ず相手に上げる心でもって仕事し、お客様もそれに応えて、いたわりと感謝の気持ちをもつ事が、幸せな住まいづくりには不可欠である事を知って行きます。
 このような事をつい2〜3年前までは頭で理解していましたが、腹に落とし込まれる事が彼の身に起こりました。それは、自分の母親を亡くした事です。沢山の人達が参列され、別れを心から惜しんで下さったのを目の当たりにし、人として生かされている意味を考えさせられたり、これからこうあるべきか等、多くを気付かされたようです。
 最近は、私共の方が彼から色々な事を気付かせてもらう事が多くあります。
「最近、季節の変わり目の匂いの変化に気付かない人が多いですね」とか「人が自然に集まる、ほっとする空間が家だと思うのですが…」とか「光や風の流れを感じる事が子供の心を穏やかにするのでは?」
 感謝です。
(H25.7)

夏を旨とした京町家

 この度、機会があって京町家の再生された住まいを見学することが出来ました。京町家は長屋とは違って、一戸建ての住まいが連なり、皆さんもご存知のように、間口狭く奥行の深い建物が多いのです。
 町家には、商いと暮らしが両立し、普段の生活と祭りなどの行事への対応等、一つの役割を担う現代社会とは違い、使い道に対して包容力がある為、色々な使い方が出来るよう考えられております。
 又、町家は良く吟味された材料をしっかりした技術で造られているので、ちゃんとした手入れをしていけば充分長く住み続けられると云われています。
 建物は建て混んでいるが自然の恩恵(光・風・水・土)も上手く取り入れて住まいづくりされています。その事を踏まえて見聞きした事、私の感じた事を書いてみます。
 先ず、皆様も今、関心の高い地震の事ですが、この町家の再生に係わった大工さんの話では、今の建物のように筋違(すじかい)を入れたり、金物で柱と梁を固定してなく木組を使った貫工法(ぬきこうほう)で強度を保っているとの事です。この前の阪神淡路大震災でもビクともしなかったとの事です。固定し過ぎると力の限界を越えた時、一瞬で潰れるので、その方が恐いのだと云っていました。又、火災時でも燐家に延焼しないよう、火災で早く屋根が抜けるようにしてあるとの事です。
 その他、建具の殆どが引き戸を多用し、夏の風通しを良くする為の工夫の一つ。町家は基本的に耐えがたい京都の夏を如何に涼しく過ごすかに重点が置かれています。その為、夏の日差しを遮る格子やよしず・簾戸、中庭には植物を植え、土の湿度を抑えたり、道には打ち水、縁には風鈴と云ったものまで、人間の五感に訴えて暑い夏を涼しく感じ過ごせさせるしつらえがしてあります。京都の人達は、このようなしつらえを感じ取る繊細な感性を育む暮らしを続けてこられた事が、この再生に継がっています。
 今はエアコンの恩恵も必要ですが、それと同時にそれに依存しない暮らしの効用も見直して行き、日本の文化を大切にしたい。
(H25.5)

木の凄さ

 住宅づくりの職人、故冨田辰雄氏より聞いた話ですが、普段我々が何げなく利用している木材のこと。木ほど不思議な植物はないと云う話です。
 それは先ず第一に自然界の動物から昆虫に至まで、木を皆が好むと云う事。また、自然界の恩恵である水や空気を作り、枯れ葉によって出来た腐葉土は水を溜めるダムの役割はもちろんの事、そこで生ずるプランクトンやバクテリアは河川から海へ流れ、小魚や海藻のエサとなっています。
 又、木は他の植物と違って切り倒しても、直ぐには腐敗し朽ち果てて消滅することはなく、枝葉を削られ皮を剥がれ、身を刻まれても、その材が乾燥したり水を吸ったりしていれば、1000年以上の歳月を長生きしていると云う事実。日本にも木が建物と云う、形を変えて、奈良の地の法隆寺に残されています。又、これが用済みになって腐敗し朽ち果てても、何故か悪臭(有害ガス)を発生することはありません。これは、自然界にあって、他の生物(動物や植物)が追従できない不死身とも思える木の生命力だと思います。
 この自然界から与えられた木を有効に利用しない手はないと思えるのです。自然から人類に頂いたものを生かして感性豊かな生活をして行きたいと思います。
 皆様も自然界から与えられた素晴らしい材料を沢山生かして利用して行きましょう。林業や農業を守るためにも是非よろしくお願い致します。
(H25.3)

住まいづくり

 建設業界に入って40年以上が過ぎると、色々なことが見えてきます。設計事務所、ゼネコン等を体験してきた中で、業界では当たり前としてきたことも、多くの人たちとの出会いの中かで、物の見方も変わってきます。
 今、住宅づくりを主な業務としている中で、商業建築、工場建築等と住宅づくりの違いを感じています。前者はどちらかというとオーナーのお金儲けの手段のための建築です。だから、設計する側も構造、デザインや利便性に重きを置き、設計者の個性を出すことも許されています。一方の住宅は個人の家庭づくりに主眼があり、設計する側はあくまで、住まいづくりをお手伝いすることに徹することが大切ではないかと思います。
 ところで、住宅は造る人も、それを設計する人も、その目的を曖昧なままに造られているのが現状です。私は今から13年ほど前に、住宅職人冨田辰雄氏に出会って、その目的を教えられました。其の方は、住まいは「住む人が安心、平和に暮らすこと」すなわち、住む人の幸福が続くことである、と教えられました。
  たとえば、皆様が時計を買う場合は、時計を買う目的は正確な時間をいつも知りたいからだと思います。デザインや色が素敵であっても、時間を正確に刻まなければ意味がありません。 それと同じように目的が曖昧であれば、その物の持つ本来の役割を発揮できないのではないでしょうか?
 ところで、もうひとつ大切なことがあります。住宅をつくるとき、建物の構造、デザイン、利便性ばかりに囚われて、その建物が人にあたえる影響の大きさをあまり考えない人が一般の人も専門家といわれる人にも多いのではないかと思います。昔から孟子の言葉に「居は気をうつす」という言葉があるように、住まいというものは、そこには住む人の心を変化させ、一つの性格を形づくる力をもっているとの意味であります。松下電器の松下幸之助氏もこの言葉を引用して、「お互い人間は、幼い時から日々の生活習慣を通じて、色々と物事を学んでいく。あるいは感化を受けていく。その生活環境の中心が住まいであって、だから住まいというものは人格形成に大きな影響を与えるものである。したがって、私は住まいというものを、単に雨露がしのげ、心身の置きどころになればよいと考えるのではなく、さらに進んで、人間を練り鍛える道場、人格の成長をはかる観点からこれを重視するとともに、細心の注意をもって住まいづくりを心掛けなければならない」とも結んでいます。
 心して住宅を造っていきたいと思います。
(H25.1)

平成24年

住まいと諸病

 私達のホーミースタディーグループは「住まいの環境の大切さ」を30年以上前から気付き、その研究と対策をして来ました。その中には「居住環境と諸病の関係」を取り上げ、医者ではない私共が住まいの環境によって、病気を誘発することを指摘してきました。最近になってお医者さんの中からもこの事に気付かれて、住まいづくりにおける注意点を指摘される方がいらっしゃいます。
 「自然にかえる子育て」の本を書かれている医師、真弓定夫先生によると自律神経のバランスが取れなくなりホルモンの分泌が乱れてアレルギーや生活習慣病になったり、キレる子供になっていくのでは(?)と心配されています。
 その原因の一つは、屋外と屋内の温度差が一番大きな原因だと云われています。冷暖房すると身体が冷えてしまう「冷えは万病のもと」と云われ、昔からうるさいぐらい「頭寒足熱」とも云われてきました。
 「頭寒足熱」とは、横隔膜を境にして横隔膜から下は冷やしてはいけない、上は温めてはいけないと云う事です。例えば、冬0℃の戸外に居る時は、上半身下半身共、冷たくなりますが、体は冷えていません。遊び疲れて家に帰って来た子供は、家の中が20℃に暖房されていたら、その時、暖かい空気は上に昇っていくので、外から帰った子供の体内は冷えていないのに 、暖房した部屋の中に入ったらその子供の体は冷えてしまいます。
 夏の場合も同じように、戸外に居る時は、もちろん身体は冷えませんが、冷房した部屋に入ったら、冷たい空気が下にいますから、身体は冷えてしまい、年中子供達は冷えっぱなしになり、万病の原因をつくることになります。
 昔から、関東・東海・関西地方においては、木造住宅である限り温度調整をする必要がないとも云われてきました。もし、冷暖房が必要な人は、大人で外気温との差が10℃以内、子供は5℃以内にするのが良いでしょうとの事です。参考になさってください。
(H24.10)

住まいの地産地消

 最近、食物についても「地産地消」の言葉を良く耳にするようになって来ました。私共、住宅を造る者にとっても、この「地産地消」と云う事が非常に大切な言葉であると思っています。何故なら住宅も身近な資材・自然の木や土などを使うことが一番省エネになると考えるから。人工の物は、それを作る過程で膨大なエネルギーを使って作られていることは、既に皆さん良くご存知の事と思います。又、身近にない物は遠くから時間とガソリンや重油を使い、運んで来る事となりトータル的なエネルギー使用を考えると決して環境に優しい事をしているとは思われません。
 又、人工的に作られた物は地下資源であるため、自然界に生きる人間にとってはそう云った住まい環境には馴染めません。既にご存知の方もお見えでしょうが、静岡大学の先生が木製・鉄製・コンクリート製の各々の箱に同じ飼育条件でマウスの新生児、23日後の生存率実験をしています。木製で85.1%、鉄製で41.0%、コンクリートで6.9%との結果が出ているように、大きな生存率の差が表れています。この事は、動物として人間である私達にも当てはまることだと思います。
 こう云った事を住宅はもちろんのこと、子供達が長時間過ごす学校内の教室にも当てはめて行くと良いと思います。3年程前に森林ツアーで松阪方面飯南森林組合へお邪魔shた折りに、ご当地では今、木造で校舎を建て替える事を勧めているし、机や椅子を小学校1年〜中学3年まで長く使える物に変えていっていることを聞きました(とても身体に優しい物でした)。
 県産材をこのように沢山使うことにより、荒れた山が生き返り、林業の人たちも仕事が増えて豊かになり新しい雇用が生まれる。山には自然の水ダムが出来、自然災害にも強く、空気もきれいで美味しい水も流れ、作物が豊かに実り、魚も沢山穫れるような豊かな郷土が出来ると思います。
 身近なところから実行していく事が大切です。皆様の力でこの郷土を素晴らしい土地にしていきましょう!!
(H24.8)

因果は自分の気持ち

 今の子供たちには、想像もつかない事だと思いますが戦後間もない頃、私が幼かった頃、見せもの小屋と云うのがあり手足の不具な子供たちをその小屋に入れ“親の因果が子に移り〜”との口上を小屋の主人が叫びながら寺銭を受け取っていたことが思い出されます。
 最近は貧しい国に行かない限り、この様な事に出会うことは無いと思います。日本も戦争に敗れたとは云え、私達の親たちの必死の努力によって豊かな国になりました。有難いことです。改めて「希望を持ち努力する大切さ」を思います。
 さて、今の世の中を見ると、豊かさが当たり前になり、先人達の努力に対して感謝する気持ちが薄れて来ているのではないでしょうか?昔から因果の法則があると聞いていますが、感謝や報恩の気持ちを忘れてしまっていては、この豊かな生活を続けて行く事が出来ないばかりか元の状態に戻ってしまうことも考えられます。
 〝因果は自分の気持ち〟と言います。良い原因をつくる為には、良い事を思い、良い言葉を使う事が大切と聞きます。現在の自分の心境・運命・境遇と云うものは、過去の自分の言葉や思いが全て現れると云われております。心して生活したいと思います。
 ところで、私共が造らせて頂く住まいも、そのつくり手の思いが建物にも現れます。(気持ちを如何に込められたか?)
 良い環境の中、幸福に末永く暮らすには、自分たちがご縁を頂いた土地や自然に感謝し、又、皆んなの力で住まいが造り上げられていくことに喜びを感じる人々は、必ず素晴らしい人生を送って頂けるものと思います。
(H24.6)

共存共栄

 宮大工、西岡棟梁の研究家であり、今は金沢大学未来デザイン研究所の所長をされているアメリカ人のマズビーブラウン氏の話によると、1850年代以前までは、日本はもちろんのこと、西洋でも多くの建物が重厚な木材同士を枘(ほぞ)や枕穴による木組みで造られていたそうです。
 しかし、その後、鉄やコンクリートで建物を造るようになって、その技術が完全に失われたそうですが、1970年代から、また木組みのリバイバル旋風が起こり、今では欧州諸国で伝統技術によって施工できる大工も居るとのことです。
 ところで、日本は欧米よりずっと以前から複雑な木組みの伝統があり、世界でも一番と云われる大工の技です。しかし、最近の日本ではこの世界に誇れる伝統技術を継承していく事が難しくなってきているのも事実です。早く、安くと云った効率を求める経済成長至上主義が社会目標とされ、グローバル社会やインターネットでの金儲けが出来ることが常識とされています。住まいについても住宅のハード面ばかりに目が行き、日本の風土にこだわった住宅を造れなくなってきています。
 西岡大工が法隆寺宮大工口伝の中に「木は生育の方位のまま使え」とか「木組みは工人らの心組み」と云っているように、風土と離れし文化も伝統もない、又、人の幸せすら念頭にないのでは(?) 如何なものかと…
 国土の68%が森であると云うこの貴重な資源があるからこそ、空気も水も美味しく、景色として世界で一番美しい国とされています。
 この国で採れる木と云う資源を使って住まいを造ることが、自然の環境を残す上でも重要なことだと思います。人間の欲が大きくなりすぎた今、どうやって自然と植物と人間が共存共栄できるかを一人一人が考えて行動していく時代が来たように思います。
(H24.4)

生きる力

 今年の冬は、殊のほか寒い日が多く、日本海側の地域では、豪雪による被害も聞かれております。それに立春も過ぎれば、日差しにも春の訪れを感じますが、今年は例年よりもかなり遅いよう思われます。
 春と云えば、梅・桃・桜の花、また今は目にする事が少なくなった田畑一面の菜の花やレンゲが思い浮かんできます。私の子供の頃は、貧しかったけれど、自然が豊かで至る所に小川や池があり、そこには、フナやモロコ・ゲンゴロウと云った生き物が沢山いました。子供たちはその自然の中でよく遊んだものです。
 最近、歌手の由紀さおりさんが姉の安田祥子さんと共に20年来、歌い続けてこられた童謡と彼女が歌う、あの透明感のある歌声がアメリカ人に受け入れられ、それが世界中に広がっていっています。今、何故彼女の歌がその様に,多くの方に受け入れられるようになったのでしょうか?
 私は、多くの人間が自然界を美しいと素直に感じることが出来るようになったのではないかと思います。最近、都会生活に疲れたり、嫌になった人達が田舎暮らしを始めると云った事が増えて来ています。その様な方々は、自然の中で人間らしい生活を取り戻したいと思っておられるのではないでしょうか。私は都会生活を送った事はありませんが、人工的な場所での暮らしは、人間が本来持っている五感や直感を鈍らすよう思います。今は、視覚や聴覚が重要視されて、香りとか味覚・触覚が軽視されているのではないでしょうか?
 暑さ寒さを嫌うあまり人工的な空間の中で生活する人が居ます。自然を拒否する生活は、折角人間に与えられた、大切な機能を鈍らす事になります。
 最近、香りについて大学等で調べられた人の話では、人間のやる気とか無意識の世界に関係があるようです。香り(嗅覚)とか味覚・触覚が減る事によって、気力が減っていくことが分かって来たとの事です。
 何事も片寄った生活をしていくと、人間の本来持っている「生きる」と云う「力」が失われていくようで怖いことだと思います。
(H24.2)

平成23年

先人達の言葉 

 私達の街には、永年そこに住む商店主達の集まりがあります。毎月例会があり夕食を共にしながら情報交換をする場です。先日も「自分の頭で考え、実行した事は上手くいったためしがない」と誰か。
 自分の体験より朝方ふと閃いたこと、感じたことの方が得てして上手くいく事を皆さんも思い当たることがあるのではないでしょうか?私も長く人間をしていますと、昔の人達が諺とか格言で残してくれた言葉の中にそのヒントが残されている事に気付かせられます。私達は先人が体験してきたことからを、言葉として残してくれているものをもう一度見なおし、その謂わんとすることに気付く必要があるのでは、と思っています。
 永年、住まいづくりをさせて頂いてますが、やはりその様な言葉が残っています。「日の入る家には医者いらず」「会話のはずむ家庭には嘘がない」はその代表。前者の日とは、太陽の朝日に多く含まれると云う紫外線が室内に入ることによって、空気中に漂うバイ菌(風邪のウイルス等)が殺菌され、空気がキレイになり病気にかかりにくいと云う事です。
 又、後者は分かりやすいと思いますが、家族の集まる食堂、台所を居心地良い場所にしてあげる事、例えば大きなテーブル(ムクなら尚よい)を囲む事で皆んなの顔を見渡しながら一家団欒がもたれ、自然と会話が弾みます。
 このように、自分の頭で考えなくともこれまで先人達が、苦労、体験した言葉の中に多くの知恵が残されています。これらを活用しないと云う事は大変もったいない事だと、最近思うのです。
 皆様も先人達の言葉を紐解き、ご覧になると、周りで起きている事の解決の糸口になるかも知れません。
(H23.12)

大震災に思う

 この度の大震災に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。
 震災より1ヶ月が過ぎて福島県田村市の友人から手紙を頂きました。彼はようやく元の生活に戻ったと書いてきていますが、彼の母親は原発のお膝元、大熊町の出身で、そこには親戚知人が数多くおられるとのことです。彼の文面からは、苦悩が痛いほど伝わってきます。それでも彼は「鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ」ことに気づき、人間は自分が想像するよりきっと強い生き物かも知れない、いや、きっとそうだと思う。そうでなければ過去の幾多の災害や困難に耐え、現在まで命を繋げて来られなかったと思い、この困難も必ず乗り越えられる。と、そう信じて、今出来ることに集中して真剣に取り組んでいるとの事です。そして、尚、彼は微力ですが被災された方々のお役に立ちたいと思っているとの言葉で文章を結んでいます。
 この彼の苦悩を癒すことは私には出来ませんが、彼の教訓を無にすることのない行動をする事が、彼から送られて来たメッセージに応える事になるのでは、と思います。私は今、自分の仕事「幸福を生む住まい」の住宅づくりを通して、彼の思いに応えていければと思っています。
 私たちの先生の言葉をお借りして申し上げるなら、心と道具を使う知恵を神から特別に与えられ、自然の中で動物と植物と共存し仲良く生きて行くよう“生”を与えられました。しかし、人間は神の意志に背き、地球上を我が物顔で荒らし回り、他の動物や植物を迫害し、人間社会だけが絶対であるかのように思い上がり、皮肉にもその知恵と財力をもって自己破壊を続けていると云われています。
 私たちは、次のような質問をすることがあります。
(ご要望のプランを見て)
 「この家の居間は夏が暑いですよ。それに、この寝室は冬が寒いです。よろしいですか?」
すると返ってくる答えが
 「夏はクーラーをつけるし、冬はセントラルヒーティングにすれば問題ないでしょう」
 このような話を聞くと、この方は自然の恵みの有り難さを知らないのか、エネルギー問題に全く関心がないのか、いつまでも現在の収入があると思っているのか、それとも人間の健康と自然の関係を無視なさっているのか、「そのどれだろう?」と考え込んでしまいます。
 いや、もう一つ、現代社会ではこうした人為的なもに頼る生活が一般的になってしまっているのではないでしょうか。今の現代化住宅の殆どが、自然の恩恵を考えずに計画され造られています。
 私たちホーミースタディグループは、自然の恵みを精一杯取り入れる住まいを造ってきました。今回の災害で、「自然と住まいの調和」を求めて生活をして行く事が大切であることに改めて気付かされました。又、普段申し上げている事に間違いは無かったと思っております。
 無駄なエネルギーを使わず、自然破壊を最小限にして生活することが危険な原発を使わずに済むことではないでしょうか。これ以上、不幸な人々をつくらないためにも…
(H23.4)

最近、引き渡しで感じたこと

 先日、出会いから三年に渡ってお付き合いさせて頂いてきた30代前半の方のお住まいの引き渡しがありました。この方との出会いは、ご主人のご実家を改築させて頂いた事が縁でずうっと付き合い続けて頂いております。
 そんな中、息子さんがご結婚され、お子さんもでき、一軒家を持ちたいとのお話しを伺っており、家を造られるなら一度家づくりについての基本的な勉強をされませんか?と云う事で、私共が行っている「住まい教室」を受講して頂きました。教室において、住まいの目的、役割等基本的な考え方が私共と同じであったため、計画のお手伝いをさせて頂く事となりました。
 この方は土地から購入と云うことで、多くの資金が必要でしたが、親御さんとの関係が上手くいっていた為、土地代金を親が出して下さると云うラッキーな方でした。親としても若い二人がどの様に住まいを考え、造っていくのかと心配されているのが良く分かりましたので、計画の段階からご両親にも打合せ(子守がてら)参加して頂き、家の計画を進めることになりました。
 後から思うことですが、親は資金の一部を出すが口は出さないと云う事でなく、一緒に住まいづくりに参加されたことが、大変良かったと思います。
 所詮、他人である嫁姑の間柄も、仲の良いお二人ではありましたが、計画を進め、住まいを完成させるまで、お付き合い頂いた中で、自然と本当の母娘、父娘の関係にと変わっていった事は驚きでした。
 私共の先生である冨田会主も生前に、住まいは家庭づくりであり、住まいづくりを通して、人を育てて行くものであると云っておられた事を今、実感しています。
 両親が年老いてどちらか一人になられた場合、スムーズに若い家族に受け入れられ、幸福な生活を生涯送って頂けると確信した次第です。
(H23.4)

平成22年

循環型社会

 住宅づくりに携わって五十年近くになりますが、住宅の建築資材として木ほど優れた物は無いと云うことを最近特に強く思うようになりました。木は有史前より私達が地球上で住む為の環境をつくってくれた唯一の植物です。私達が地上で生活出来るのも、植物である木が酸素をつくり、紫外線から守るオゾン層をもつくっていると云われています。木は私達に木の葉から発生する水蒸気によって雲をつくり雨を降らせ真水をつくります。
 又、山の木々はダムとしての保水の役目をし、一定量の水を川として海に流すことにより、その周辺に豊かな田や畑をつくり、作物を育てる役割をしています。川の水に含まれる栄養素は河口でのプランクトンを発生させ、小魚のエサとなっています。育った木は家や家具に使われることによって、今、世間で大変問題になっているCO2の削減に大きく貢献していることは、皆様もよくご存知のことと思います。
 ところで、木は不思議な生物で、一旦根から切り離されて生命を絶たれる訳ですが、家や家具として使われる時は何千年もの間、朽ちることなく生き続ける性質を持っています。又、木は再生可能な資材でもあり、この様な素晴らしい資材を有効に利用しない手はないと、私は思いますが皆様は如何でしょうか?
 木の特質はまだまだあります。静岡大学の水野教授が木と金属とコンクリートの箱を作り、そこにマウスを入れて、その生育状況を実験したデータがあります。それによると、金属とコンクリートの箱に入れた親マウスはストレスを多く感じて子マウスに充分な乳を与えることが出来ず、子が育ちませんでした。それに比べ、木の箱の親マウスは落ち着いて乳を与えることが出来、子マウスがすくすく育ったと確認されています。
 この事は人間にも当てはまる事であり、最近、家庭や学校でもキレル子供や落ち着きのない子供が増えたのも住まいの内装が有機質の木や土、紙で囲われていないからではないでしょうか。事実、木造でつくられた幼稚園の園長さんの話によると、社会環境や家庭環境の悪い子供達でも園での生活を見るとコンクリートでつくられた幼稚園の園児よりはるかに落ち着いた状態で園生活を送ることが出来ると聞きました。
 今の荒んだ世の中を少しでも良くするには、木造で住まいも学校をも造ることが良いのではないかと思います。
 今、山が手入れされずに荒れているのを皆さんもご存知のことでしょう。山の木を守る人が生活出来ないからです。木は卵と一緒で昭和45年代とあまり変わらない値段であり、決して高い資材ではありません。もっと、国内の木を沢山使うことによって循環型社会になるようみんなの力で努力していきたいと思います。
(H22.10)

何故、同居なのか?

 以前から気になっていた事が現実となってきていることに驚きました。去る1月31日にNHKスペシャルで放送された「無縁社会」についての番組をご覧になった方もおられることでしょう。
 その中で、身元不明や引き取りを拒否したりした「無縁死」が年間3万2千人にものぼり、今後も確実に増え続けて行くであろうと云うのです。今、若い方々は、私の周りでも独身者が多いように見受けられます。男の人も女の人も仕事を持てば、それなりに独り身であっても生活に困らないような仕組みが世の中に出来上がっております。食事にしても24時間食べる事だけを考えれば不自由することなどありません。
 又、独りで淋しいと思えばインターネット上での友人も簡単につくる事が出来る現実。確かに人が一緒に住むことは、人とのコミュニケーション上、我慢や辛抱が必要で、その煩わしさの為、それを避ける人が多いと聞いています。
 しかし、世の中全ての事において、自分一人の都合だけで物事が上手く運ばないことは誰しもが分かっている事なので、そこに面白さ、楽しさを見つけないと何の為にこの世に生まれて来たかが分からなくなり、結局、人生の終焉が近づいた時、残るのは虚しさだけかも知れません。
 最近、息子の嫁が妹の結婚式で実家へ4〜5日帰った時、食欲もなくすっかり弱っていたお祖母さんが急に元気になり、食欲も回復したとの話を聞きました。どうも孫や曾孫の元気がお祖母さんを元気にする様です。私も同居していて感じる事は、若い人はエネルギーがあるので元気が溢れています。その事が私を元気にしてくれます。又、気遣いもしてくれます。
 子どもの居ない夫婦はどうするのだとの声が聞こえて来ますが、その場合、善人である他人との同居は如何でしょう?遠くの親戚より近くの他人です。世の中から我慢や辛抱を無くした結果が、今の世の中の状態です。
 世の中を良い方向に向けて行く為には、今の生活スタイルを改めてみる事が必要ではないでしょうか。同居によって、世間で問題となっている事、医療、省エネ、食料、少子化、子育ての問題の多くが解決出来るのではないかと思います。
 皆様方も一度考えて頂くキッカケになれば幸いです。
(H22.6)

地球温暖化防止

 以前にもこの事については、少しばかり触れさせて頂いた事があるように思うのですが…
 先日、国産材をもっと利用しようとの話を聞く機会がありました。その会を企画したのは、山の達人と工務店を結び、持続可能な社会を目指そうとする人達です。
 今、皆様も良くご存知の様に地球温暖化を抑制しようとする動きがあちらこちらで行われております。CO2の排出を少なくする取り組みです。私達の業界にも高断熱高気密住宅を推奨する動きもありますが、その話は別の機会と致しまして、今回は国産材を何故使う事が大切であるか(?)の話です。
 日本の山は、私達が思っているのと違って、自然林と云う山は少なく、殆どの山は人工林(人が植林をして育てた山)が多いと云います。よく山をご覧頂くと杉や檜の木だけの山が多いのに気が付かれると思います。
 今、その山で大変な事が起きているのです。皆様もテレビや新聞等で見聞きされた事がおありだと思いますが、間伐と云って木を間引きしないと大きく育たない事と、山の中に光が入らないと下草が育たない為、杉や檜は強風で直ぐに倒れたり土砂崩れを起こしたりします。
 木は多くのCO2を固定化するので、木を使用することは空気中のCO2を大きく減らす効果があります。又、森林の木は多くの水を保水する力があり、わざわざ大きなダムを造らなくても、水を大量に溜めておけるとさえ云われています。
 その他に森林は、葉からの水蒸気の発散で雲をつくり雨を降らせ、またその水は落ち葉を腐葉土にし、そこを通った水は川となり、田や畑の栄養となります。川ではプランクトンの栄養となり、プランクトンの発生で魚が育つ環境が出来上がると云われています。
 木材を家に使えば、これ又、人の心を和ませる動きもあり、良い事づくめの資材であると云われています。多くの国産材を使用し地球温暖化防止に、皆さんと一緒に協力し合って行ければいいな、と思います。
(H22.3)

新年明けましておめでとうございます

 希望に満ちた新年を迎えられたことと思います。昨年は、皆様も良くご存知の様に政治・経済が大きく変わりました。又、人々の思いも大きく変わったように思います。
 戦後60年余り、ひたすら豊かさを求め、お金や物を求めて来ました。その中で、競争原理が一番正しい事だとの思いから、強い者がひとり勝ちし、富をひとりじめにして来ました。お金や物を沢山持つことが人生の最高の喜びとして来た人もここへ来て、それだけでは自分の心を満たすことが出来ないことに気付いて来たようです。
 暮れに当社に来られた若い32才の女性も、31才の誕生日を迎えた日「過去30年間、人の役に立つ事は何もしてこなかった」と猛反省し、心を改めて、2日後からは勤め先と住まいの近くの鵜の森公演の神社の参拝と、大通りの清掃を始め、早朝5時半から1時間、毎日欠かさず今も続けておられるとのことです。続けることによって、最近では近隣の住民も参加して来られているようです。
 又、ゴミ拾いから始まった新しい人生は、やり続けた自信と共に街づくりにも関心が広がり、400年ぐらい昔にこの地にあった浜田城の再建も考えておられるとの事でした。
 この様に、人は思いを変えることによってこれまで以上に生き生きと過ごすことが出来ます。私もより一層、生き生きと過ごす為にも、今年は人とのつながりを強化して行きたいと思っています。
 最近、自分勝手な人が増えたこともあって、街の中の建物を見るにつけ、色・形がバラバラな家が好き勝手な方法で造られているのが現状です。その事によって、街の美しさも欠け、人が集まらない街が出来上がっているのではないかと思います。
 街づくりにも関心を持ちながら、自分勝手な人を少しでも減らすため、家庭で子どものしつけが出来る住まいを今年も提案・提供して行こうと思っています。
 本年もどうぞよろしくお願い致します。
(H22.1)

平成21年

将来を担う子ども達に

 これまで人類は、生活の安心・安全を求めて沢山の発見・工夫をしてきました。お陰で私たちの生活は飛躍的に豊かに便利になってきました。しかし、その代償として、それによる弊害が至るところで現れています。それも物質文明が発達する折りにはやむを得ない事だと思いますが、今、この事が社会問題として世界的に取り上げられていることは、皆様もご承知の通りです。
 私たちの業界も科学技術の発展によって、今まで以上に美しく、また機能的な建物が造られてきました。しかし、建物の中でも住宅は特にその弊害が顕著に現れてきていて、ご存知の様にシックハウスによるアトピー・喘息・自律神経失調症と云った病気が住宅の造り方によって現れてきました。
 政府は慌ててその対策として24時間換気システムとして室内の空気を2時間に1回、全て入れ替える様、義務付けしました。しかし、それだけで全ての事が解決した訳ではなく、今尚、問題が山積しています。この事を解決するには、私は住まいの環境に重大な問題がある事を声を大にして申し上げたい。
 孟子言葉に「居は気を移す!」すなわち、住まいは人に大きな影響を与える為、心して住まいを造らなければならないとの教えです。
 私は今、仲間達と人々が将来に渡って安心平和な生活を送れるにはどの様に住まいづくりをしたら良いか(?)との事を40年の永きに渡り研究されてこられた冨田先生(住宅環境工学博士)の元で勉強し、今それが具体的に形とし出来るようになりました。
 この家づくりは難しい事ではありません。自然を良く知ることによって可能であると云うことです。私たちは今、科学文明を信奉する余り自然界の大切さを忘れているのではないでしょうか?
 今、食も医療等もその方向に向かっています。
 将来を担う子ども達に安心平和な生活が出来る様、皆様とご一緒に住まいづくりに邁進して行きますのでよろしくお願い申し上げます。
(H21.11)

触覚について

 人間は、誕生してから主に触覚によって脳が発達すると云われています。確かに生まれたばかりの赤子は母親の胸に抱かれる事によって安心し、ゆっくり眠ります。そして、お腹が空けば母乳やミルクを飲み、自然と育って行きます。
 又、少し大きくなって這い出す頃、自分に触れる物は何でも口に持っていきその感触を確かめて、柔らかい物か堅い物か、又、熱い・冷たいとか云った、その物自体を識別することによってどんな物なのかを知って行きます。
 この様に、人間の五感の中でも触覚は一番早くからその役割を発揮すると共に、人間にはなくてはならない基本的な感覚です。だから、例え目や耳に障害があったとしても、触覚がその代用としての機能を果たします。その様な事を考えると、人間が日常で一番身近な存在の住まいは、人間にとって大切な所であることが分かります。従って、住まいを造る上で、人間が直接触れる室内環境が大切なことだと云えます。
 私は10年程前に改めてその事に気付かされました。住宅環境工学博士である冨田辰雄先生に出会い、その仲間と一緒に住まいが人間に与える研修・研鑽を続けています。その勉強会を通して研究した成果を、今、住まいづくりに生かしています。
 ご縁を頂いた方の話を聞かせて頂きますと、空気が軟らかいそうです。人間は自然の一部ですから、その様な感覚が人間にとって最も住みやすいのではないかと思われます。
 今、トゲトゲしい感情を持った人達が世の中多くなった様に思いますが、そのトゲトゲしさを無くすのは、軟らかな雰囲気を持った住まいではないかと思いますが、皆様は如何お感じになられますか?
(H21.9)

ホームレス

 新聞の日曜版だったか定かではありませんが、ホームレスの人達の記事が掲載されていました。ホームレスになる人達はどの様な事でその様な暮らし方を選んだのだろうか(?)と興味があり、読み進めて行きますと、私が想像していたこと、例えば会社をリストラされ、仕事に就きたくてもそれも無く仕方なくホームレスになったかと思っていました。
 が、その様な人も居ることは確かな事ですが、60才を過ぎたその方は奥様を亡くして一人暮らしで寂しく食事をするのが嫌で、話し相手が欲しい為に、この人は敢えてホームレスと一緒に暮らしているとのことです。
 人は話し相手もなく、又、他人から頼られる事がないと生きて行けない存在の様です。
 最近、よく耳にする認知症の人達も老人だけかと云うとそうではない様で、人に何らかの役に立つ存在でなければ頭の働きが鈍くなり、病気を併発する原因になる様です。
 私も前期高齢者の仲間入りをさせて頂いています。又、息子夫婦と同居で、二人の孫達と一緒に食事をしたり風呂に入ったりしています。確かに孫達は4才と2才であるので一日中甲高い声で喋り、動き廻っているので、気にすれば一般の人が云われる様に疲れると云う事になりますが、私は彼らと一緒に居る事でいつも元気をもらっています。
 又、その言葉使いや仕種は、一生懸命大人のことを真似しようとしてやっている事が多く、大変面白い存在です。
 この様な状態を嫌う人達もいて、煩わしい事はゴメンだと云って一人暮らしを求める人が居ますが、私は世の中、煩わしい事の中にしか楽しさはないのではないかと、最近は思っています。
 自分がつくり出す人生の舞台は変化が多い程、面白い人生が過ごせるのではないかと思いますが、皆様は如何思われますか?
(H21.8)

自分の一度だけの人生

 先程、人は人との掛かわりなくしては生きて行けないのではないかと書きましたが、戦後、高度経済成長を元に農村から都会へと大量の人達が自分達の住んで居た村を捨てて来ました。
 それによって、村社会に存在していた人との繋がり、絆や結いと云った共同で行う仕事や大家族制をなくして来ました。
 アメリカから導入された資本主義と個人主義によって、経済は世界の一、二を争うまでの豊かな生活が出来る様になり、辛い労働も少なくなり、毎日奇麗な服と美味しい料理を腹一杯に食べられる様になったことは、何より嬉しい事です。
 しかし、以前にも増して忙しくなった事も事実です。私も以前、南米ボリビアの農場に一週間程度滞在したことがありましたが、そこでの生活は実にゆったりとしていて、時間の進み具合もゆっくりです。それに比べ今の生活は、毎日があっと云う間に過ぎて行きます。今日一日、何をしたのだろうと思う日もあります。
 又、人によっては、段々とやる仕事量が増えた為、朝早く出社し、夜遅くまで終電車の時間を気にしながら仕事をし、それでも仕事をこなしきれなく、日曜祝日を返上してまで仕事に追われている様です。
 そのため、自分を見つめるとか、ゆっくり考える時間がないので、ついつい場当たり的処理で物事を決めて進めて行く事が多い様に思います。だから、私も少し自分の事や会社の事をゆっくりと考えたい時は、会社を離れ静かなところでゆったりと過ごす時間を作る様にしています。
 だから、最近、都会で仕事に疲れた人達は田舎暮らしを求めるのではないかと思っています。又、仕事によっては、田舎で暮らしていてもパソコンを使って、仕事の出来る時代になりました。
 何処に居ても新しい情報が得られる良い時代が来た様です。文明の利器を使い、自分に合った楽しい生活を過ごしましょう。自分の一度だけの人生ですから…
(H21.8)

結婚しない若い人たち

 仕事柄、お客様から様々なご相談を受ける事があります。その中でも結婚相手を紹介しては頂けないか(?)との親御さんからのご依頼もあり(ご本人から頂く事は希ですが…)。それにしても、最近の傾向として30才以上の男女が多いのが特徴です。
 私も頼まれた事は放ってはおけないので、それなりに頼まれた中の人からとか、これはと云う人に問い合わせをする事がありますが、こればかりはなかなか難しいことです。
 最近、結婚相談所を仕事としてやっている友人が来社し、彼からその仕事内容を聞く機会がありました。それによると、彼の会社では一万人位の登録者があり、その中でこれはと思う人を選び見合いにもって行き、さらに良ければお付き合いを始めてもらうそうです。が、ここでただ付き合いを本人たちだけに任せるのではなく、結婚とはどういうものなのか(?)と云う基本的な生活についても話をし、場合によっては身だしなみや食事などマナーについても人から好感を持たれるよう色々とアドバイスがあるようです。
 これらは、私共の住宅づくりにも云えることで、ただ単に建物を造ればそれで良いと云う事ではなく、そこでどの様に生活して、つまり夫婦が子供を育てながら自分たちの一生(人生)をどの様に暮らしていきたいかを考え、造るものであると思います。
 何事もこの世の中には、それが存在する意味合いがある事をよく考え、行動を起こして行くことが大切なことではないでしょうか? あとから“しまった! あの時この様にすれば良かった!”と悔いを残さない為にも…
(H21.6)

命について

 最近、縁あってキリスト教の牧師さんにお会いする機会があり、人間は何故この世に生まれてきたのか(?)と云う話になりました。牧師さんが云われるには、人間は人の為に役立つことにより、人に認められ、また感謝される。その事に生き甲斐を感じていきることでは(?)…と。
 その中で面白い話がありました。神は人間を最初から人間としてこの世にお造りになられたと云うのです。それは、地球の地質を見れば分かるとの事です。今、私たちは何万年も前の地質の断面を世界各国、此処彼方で目にする事が出来ます。地層を見ると何層にもなった横の帯が見られますが、そこで見られる貝や魚類、植物等の化石を見ると殆ど現在のものと変わっていないとの事です。
 ただ、気候の変動によって絶滅した種もありますが、生命は偶然と自然の法則で出現したと云う進化論は、アメリカではそれに疑問や不満を持つ科学者や哲学者達の集まりがあって、知的存在と信じています。
 日本ではどういう訳か進化論が正しいとの学者が教育界に占めているので、この様な話をする人は異端視され、一般の人に知らされていないのが現状のようです。日本では一旦それが正しいと云われ一般に広まると、それが後から間違っていたとしても、訂正されるまでに多くの時間を要することが多いように思います。
 人は様々な意見を持っていることに、もっともっと耳を傾ける必要があるのではないでしょうか? 又、その多様性を認める事が広い意味で人を幸せに向けて行くのではないかと思います。
(H21.6)

脱メタボ

 世間には「常識だから」と云って広く一般の人達が思いこんでいる事があります。間違ったことでも一旦思いこむとそれにとらわれてしまい、なかなかその事から次の新しい考え方に変える事が出来ないのが私達人間なのかも知れません。
 ただ、昔の人達の言い伝え、すなわち伝統教訓は長い時間の中で間違いを直し、真実を伝えてきています。先般ある会合で、京都大学大学院の森谷敏夫先生のお話を伺う機会がありました。この方は、NHKの「ためしてガッテン」にもTV出演されていますので、お聞きになられた方もお見えでしょう。
 お話しの内容は、最近巷で話題になっているメタボの予防についてです。今、成人男性は1日の食事は大体2000キロカロリーでその内約60パーセントにあたる1400~1500キロカロリーは基礎代謝に使われているようです。基礎代謝とは身体を構築したり、息をしたり、生命活動を維持したり人間にとって最低限度必要なエネルギー量だそうです。
 その他に誰かと話したり、トイレに行ったり、買い物したり、バスに乗ったり、そうした日常の何気ない行動をニートと云うようですが、そのエネルギーが残りの40パーセントだそうです。
 最近の我が国の一人一日当たりのエネルギー摂取量は2004年には1902キロカロリー、これは終戦直後1945年の1903キロカロリーとほぼ同じでありながら、肥満者が増え続けています。この原因は何故でしょう?
 「エネルギー消費」より「エネルギー摂取量」が多いから単純明快。「食べ過ぎ」ではなく、昔に比べてエネルギーの消費量が減った、すなわち運動しなくなったことが大きな原因の様です。文明が進み歩く事や労働が減った事です。
 もう一つ大きな原因は、体内に摂取した糖質の7割が筋肉で消費されると云うことで、脳が2割、臓器が1割だそうです。また糖質を代謝するのにインスリンは全く必要ないとのことが分かってきたと云います。だから努めて身体を動かす様に日常生活を送ることが重要と云えます。
 なるだけ階段は歩いて上がり、近いところへは車を使わない生活が省エネにもつながる訳ですね。
 如何でしょうか?
(H21.3)

年始のご挨拶にかえて

 明けましておめでとうございます。皆様はどんな思いで新年を迎えられましたでしょうか?
 昨年の初めは、日本経済も順調に進んでいましたが、秋も深まった頃、アメリカのサブプライムローン問題に始まり、金融危機が発生し、一気にアメリカはもとより世界各国の経済がおかしくなりました。います
 昨年の暮れは、テレビ・新聞の報道はその事の関連で株価の暴落、派遣社員や季節労働者の失業と云った暗い事ばかりで、又、巷でも人が集まればその話で持ちきりの様でした。
 確かにそう云った状況だとは思いますが、世界の国々から日本の現状を見る時、日本は大きな災害や戦争によって国内がメチャクチャになってはいない事を思う時、日本の国に居る事の有り難さを感じます。
 又、これまで生活状況は高級な物が飛ぶ様に売れていた事を思うと、今やっと普通の状態に戻ったのではないかとも思えます。
 個人個人が汗水を流して、人様の為に少しでも役立つ様にと努力した結果がお金として代価になり、それで生活していく事が大切だと思います。
 又、この様な不況と云われる状態が続くとすれば、これも強ち悪い事ではないよう思えるのです。日本人が忘れていた互助の精神、すなわち互いに困った時、人々が助け合って生活することを思い出し日本人が本来持っている“和”の精神に気付くことになればと強く思います。そして、何事も少し見方を変えれば良く、気持ちだけでも明るく元気に、この一年を乗り越えて行きたいと思います。
(H 21.1)

平成20年

森林ツアー

 毎年恒例となりました森林ツアーを今年は10月18日(土)に実施することとなり、天竜川流域へ新月伐採を体験しに参りました。皆さんの日頃の心掛けの良さか天候にも恵まれ、雲一つない行楽絶好の日になりました事はラッキーでした。
 今回の参加者は総勢37名、最高年齢は80歳の方、最年少は3歳の子供さんで、幼稚園児や小学校の低学年の児童も加わり賑やかな道中でした。
 伐採現場は浜松市内から車で1時間程のところにあり、急な山道を昇って行きます。道は狭いため大型バスは無理で、小型のバスと自家用車に途中で乗り換えて向かいました。現場は山頂に近いところで、急な斜面に植えてある樹齢60年から80年の桧を伐採します。
 これまで5回ほど山へ行きましたが、伐採を素人の我々に体験させていただけるのはここが初めてです。5家族の方々に体験をして頂けましたが、小さな子供さんも目を輝かせながら木を切るチェーンソーや、最後に倒す時木に打つくさびをオノで叩く作業を大人に混じって真剣なまなざしで参加していました。
 大きな木が倒れる瞬間の音は何とも云えない気持ちにさせます。伐採の後、みんなで地元の奥様達が作ってくださったしし汁や山魚やまめの塩焼き、見事なしいたけ、原種に近いじゃがいもを自家製のしょうがみそで食べる食材は何とも贅沢なものです。食後は樹齢300年程の杉の木を見学し、又、広い貯木場で山の人より新月伐採についてお話しをして頂きました。
 木は月の影響を強く受けて成長していくそうです。上弦の月から満月にかけて木は栄養分を吸い上げて成長し、逆に下弦の月から新月にかけて木は成長を止めるのだそうです。だから木は新月に向かう時期に伐採するのが良く、栄養分が木に残っている時期に切ったものは腐り易くシロアリの害を受けやすいとの事を、そのことを実験された木を見せながら説明を頂きました。
 又、ここの木は葉枯らしといって、切ったすぐに枝をはらわずそのまましばらく放置し、水分がある程度抜けてから枝をはらい加工するとのことです。この様に自然乾燥した木は表面の割れは生じますが、人工乾燥の木に比べ強さは変わらないが粘りがあるとのことです。
 木は不思議な生き物です。切られてからもなお生き続けています(呼吸しているのですから…)。
 この森林組合では自分で切った木を売ってくれるとのことです。自分の家を自分が山で選んで切った木で造ってみませんか?
(H 20.10)

相続

 不動産取引のお手伝いをさせて頂いていると、相続問題を相談される事があります。相続は一生の内で、そう何回もある事ではありませんが、それを上手く行うかそうでないかによって、その後の人生に大きな影響を与えます。
 先日、私の友人にそのコツを伝授して頂きました。皆様も多かれ少なかれ一度はこの問題に遭遇されるはずですので、ちょっとお読み頂ければと思います。
 「相続で親の財産を引き継ぐ」その時、一定の条件下で必ず起きる現象があると云います。それは譲った人が幸せになり、欲を通して財産を奪った人は幸福になれないとの事なのです。
 一年程前に相続をお手伝いしたAさんと云う人がいます。Aさんご夫妻は二人で父親の在宅介護をしてみえました。この父親はAさんに自宅を相続させたいと思い、遺言状まで作成してらしたのです。
 ところが、父親が亡くなると、兄弟の一人から自分にも分け前が欲しいとの申し出がありました。本来から云うと分ける必要はないのですが、これを弁護士に入ってもらっての争いになると、兄弟の仲は切れてしまい、永遠につながる事はありません。
 そこで友人は、Aさんに遺言状を破棄し遺言分割の話し合いで問題の解決をしなさいとアドバイスされたそうです。Aさんは彼の言葉通り一歩も二歩も譲り、兄弟に代償金を払い、自宅を相続したそうです。
 一段落して彼はAさんに、こう一言「ご夫婦には良きことが沢山起こりますよ」。今までの数ある経験上、本当にその様に思ったからだと云います。それから一年が過ぎて、Aさんが報告と御礼にみえたそすです。
 このご夫婦は腕の良い床屋さんです。店舗は借地の上に建っていて、ある時、この借地がビル用地として地上げされる事となりました。この地でずっと商売を続けてみえた訳ですから、立ち退くとなるとAさんは仕事が出来なくなります。
 なんと不幸な出来事と思いきや、新築されたビルの一階で店舗が開業できると朗報。しかし、仕事の再開までには、かなりのブランクが…。そんな折、ある社団法人から厚生施設で仕事をしてみないか?との声掛けがあり、そちらを手伝う事になったところ、夫婦には足りる収入の上、休みが土曜とあり、時間にもゆとりが出来ました。
 店舗の方はと云うと、他人に貸してそちらからは家賃収入を得ることが出来、豊かな生活をさせて頂いてますと、喜んで下さってたとの事です。
 めでたし、めでたしでした。
(H 20.9)

このところの事件に思う

 最近色々な事件が起こるにつけ、その原因を私なりに考えてみたいと思います。このところ、たいした理由もなく無差別に人を殺す事件が増えている様に思いますが、貴方はどう思われますか?
 強盗殺人、怨恨による殺人と政治的テロと云った昔からある殺人に比べ、今の人殺しは一見善良そうに見える普通と思われる人が自分の身勝手から事を起こしてしまった例が多いのではないでしょうか。この様な事は、昔は無かった様に思います。
 神戸の小学校へ無断で入り込み、そこに居合わせた先生や児童を無差別に包丁で切り付け殺傷事件事件を起こした男や、最近記憶に新しいところでは、東京の秋葉原で仕事の不安や孤独からレンタカーを借りそれに乗って日曜日の歩行者天国の中に突っ込み、それでは飽きたらず買ってきたナイフで無差別に刃物を振り回し7人もの人殺しと10人以上の人に傷を負わせる事件がありました。
 自分のやり場のない怒りや不満を物に当たればまだしも、殺人と云う形でこれを表してしまう人達が日本国内にも増えたことに何か特別な原因があるのではないかと私は思うのです。私は住まい造りを通して住まいが人に与える影響力の大きさを勉強してきたものの一人として、それはその家庭すなわち家庭環境にその原因の一端があるのではないかと考えます。
 戦後の高度成長と共に核家族化の増加と共働きが増えたこともあって家族間のコミュニケーション不足が見られる様です。又、核家族化によって家からご先祖を祀る場所や神仏を敬う気持ちを持たない人達が増えたのではないかとも思います。そういった習慣のない人にとっては、日本では唯一それを意識する機会はお盆と正月ぐらいかもしれません。自然を畏怖する機会や場所に出合うことすら昔の人に比べて現代人は極端に少ないのではないかと思います。
 その点、ヨーロッパの人達はキリスト教徒が多いと聞きますが、彼らは毎週教会のミサと云う形でその機会を得ているためこの様な事件が少ない様に思います。何らかの形で人は自然に生かされ、又、永遠に続いていくものであることを若い人に教える場が必要ではないかと思います。
 皆様はいかが思われますか?
(H 20.6)

子供たちを甦らせる

 子育てから開放された私達夫婦にとって学校教育は他人事と思っていましたが、孫が3才になりこの四月から幼稚園に通い始め、口出しこそしませんが、孫のこれから行くであろう学校について関心を持つ今日この頃です。
 昔から多かれ少なかれあった、いじめ、非行、犯罪が最近は学校でも多いと聞きます。私もそんな中でこの問題をどうしたものかと考える大人の一人でもあります。
 最近、教育現場の工夫用力として、「子供たちを甦らせる」というタイトルで、記事を読みました。
 ある中学校でのお話です。強盗、窃盗、不登校が日常的にある中で、先ず最初に取り組まれた事は、つまらないと思われている授業を興味ある内容に改善したこと。それによって非行やいじめが減ってきたそうです。しかし、子供が朝礼で貧血を起こしバタバタと倒れたり、遅刻したり、登校しても保健室にいたり… 
 これはもしかすると食と関係あるのではと、食の実態を把握する為、朝早くからコンビニエンスストアで張り込みをされたとの事。そこで目にしたものは、母親が子供を車に乗せてきてお金を渡し好きなものを買わせている姿だったり…
 そういう子供は日常生活を調べてみると、やはり非行や犯罪を繰り返し、キレる、無気力など指導に手を焼く子が多かった事実。又、朝食を食べてこない生徒が全校の38%もいたとの事です。
 まともな食事が摂れてない子は授業に集中できないばかりか精神的にも不安定になってしまう。又、朝食を食べている子も実態はパンとハム、ウインナー、それに合成保存料や合成甘味料の入ったジュース等が主で、夜はカレーや焼き肉と云った食事が中心で、体に必要なミネラル(カルシウム、亜鉛、マグネシウム)を摂取してこなかった事が分かった。
 この様な食のバランスに欠けた子供の血液はドロドロで、自己コントロールできない体になり、普段は無気力でありながら突如自分の感情を抑えきれなくなってしまう。この現状から、バランスのよい食事を作ってもらおうとお母さん方に呼びかけても聞き入れてもらえず、ついには学校給食の改善に取り組むことになったのです。
 なるべく腹もちの良い米飯の方に切り替え、野菜や魚を中心にしたバランス良い献立の給食に変えたところ、七ヶ月経った頃から学校全体が落ち着き、一年半~二年が経つ頃には非行や犯罪がゼロとなり、子供達の学習意欲も高まったのです。
 これまで誰一人利用しなかった図書室が昼休みには満席状態。読売新聞の全国作文コンクールでは毎年一位か二位に入賞といった嬉しいこともあったそうです。
 又、米飯給食に切り替えた事で、地元の農産物も多く使うこととなり産地地消、地域の農家の方々にも大変喜ばれているとのことです。
 人を育てるには、手間暇を掛けることが大切である事を教えられた話でした。
(H 20.5)

酸素は大切

 最近、やたらと身体の健康についての情報が巷に溢れています。そういう私も、還暦をとっくに過ぎ、体力の衰えと共に歯までが悪くなってきたのも事実です。
 若い時に、もう少し気を付けて養生していたらこんな事にならなかったと思われる心当たりの方も多いのではないでしょうか。
 若い人は「そんなの関係ない!」と云わずに、少し先を読んで頂きたいと思います。私は今、“幸福を生む住まい”と云う住まい造りをしています。
 ご存知の方もお見えかと思いますが、住んでもらって不幸をもたらさない家造りを目指しております。
 その不幸をもたらさない条件の一つに、心身が病気になりにくい住まいと云うものはどういうものかを考える部分があります。
 私達は住まいの中で、自然の空気を如何に家の中に取り入れる事が大切であるかを、家づくりを通して伝えさせて頂いています。
 近頃の家は、気密性の高い家が最良条件の様に云われていますが、新鮮空気の大切さを忘れてしまっている様に思われます。少し前から都会では、酸素を売る店があり、昼休みなど喫茶店ならぬ酸素吸入店が繁盛しているそうです。
 空気の汚れと共に酸素不足が生じている様です。確かに人間は酸素を吸わなければ、4~5分間で死に至ります。又、少ないと血液に関係する現代病とも云われる、ガン、脳卒中、心臓病等を誘発する原因にもなり得ると云われています。
 医学博士の塩谷さんは、老化、ボケ等も酸欠によって起こると、本に書かれていますし、体力が弱まれば精神力、知力も衰えると云われます。
 それらを予防するには呼吸法にも気遣い、特に寝室(1日24時間の内、1/3程お世話になる部屋)の換気や通気、通風が充分に採れる様、計画する事が大切だと思います。
 詳しくお知りになられたい方は、お気軽にどうぞお尋ね下さい。
 健康で長生きが一番です。
(H 20.3)

節目に

 新年あけましておめでとうございます。
 正月は年の初めとしての節目に当たる月です。日本人は昔から、季節の節目を大切にしてきた民族ではなかったかと思います。江戸時代に幕府が公的な行事として定めた5節句が今日も残っています。ちなみに、人日(じんじつ)1月7日の七草、上巳(じょうみ)3月3日の桃の節句、端午(たんご)5月5日菖蒲の節句、七夕(たなばた)7月7日星祭り、重陽(ちょうよう)9月9日菊の節句です。
 ところで、人生においてもやはり節目があります。結婚、子どもの出産、就職、家を持つ等、人生航路の出発点が人の人生にはつきものです。私の仕事もそうゆう意味では、人の出発点にかかわる大切な仕事をしていることを改めて感じています。だから、安易に住まいを造ったり、いじったりしない方が良いのではないかと思います。
 私は住まい造りは家庭造りだと思っています。だから、私共に住まい造りを相談にお越しいただく方には、一度良い機会であるので、これからの人生、すなわち自分がどの様に将来にわたって過ごしていくことが、自分や家族にとって一番良いかを家族が話し合う機会にしてほしいと申し上げています。
 誰でも自分がこの陽にしたいと云う希望や夢がありますが、現実問題として家族とのかかわりも考えることが大切です。それを調整する場が、せん越ですが私共、住まい造りに関わる専門家の仕事ではないかと思っています。
 私も幾多の人の人生に関わりを持たせていただきました。この経験が少しでも世の人に役立つことを願っています。
 今年も皆様にとって幸福な良き年となることをお祈り申し上げます。
(H 20.1)

平成19年

何かがおかしい

 皆様には余り感心がない事かも知れませんが、最近、私達の関係する業界では大変大きな改革がありました。それは、新聞等でも報道されました建物の強さを計算する構造計算書が偽装され、強度不足であるマンションが見つかったと云う事が発端となっています。
 いわゆる姉葉建築士とによる偽装問題です。その結果、その様な不正な行為を無くすためにと云うことで、今年6月に建築基準法が改正され、構造計算書の書類を公的な機関で二重チェックすると共に、申請書に付帯する書類も大幅に増え、建築士の仕事が増えました。
 その事によって、建物を建ててもよろしいと云う許可業務が大きく遅れることとなり、又、この業務手続きの送れによって着工出来ない状況があちらこちらで起こっております。
 一人二人の不正があったことで、後の全ての建築士が不正なきする為に、膨大なお金と時間のかかるシステムを作ることが本当に必要であったのかと疑問に思います。
 今回の事は、安ければ何でもいいと云う損得勘定で、事を運んだといった所がオーナーの会見からも感じとれます。安く良い物を提供するのは当たり前ですが、それを造る側の立場も考えずに、ただ安ければ良いとの事で金銭的な無理強いをオーナーが業者にした結果ではないかと思えるのです。
 結果的に損をしたのは、さて誰でしょうか?
 昔からの諺に「安物買いの銭失い」とありますが、「安物買い」が高じて国をも滅ぼすことにならなければ良いが…と思いますが、如何でしょうか。
(H19.11)

吉野・川上村

 先日、奈良県の川上村において「まるごと吉野杉フェア」と云うイベントがあり、参加してきました。日本三大人工美林のひとつ、吉野杉の主産地でもあり、川上村の森林組合はもとより村を挙げての催しでした。
 参加者は交通のこともあってかやはり大阪・神戸方面の方が多く、100名程の参加人数でした。オープニングは太い杉丸太をお客さんがチェーンソーで切るところからです。
 そして、丸太の彫塑師のデモのあと各班に分かれて約120年の杉、伐採見学に行きました。伐採は間伐を繰り返し行ってきた場所で見る事が出来、そこには天ほどまでに伸びた杉が威風堂々と立っています。
 生き物としての風格さえ感じさせてくれます。その中の一本を倒す訳ですが、既に別方向に倒れていかないよう、ロープが掛けられています。倒すのは3人がかりで1人がロープの張りを調整、もう1人は木が倒れる方向を正確に読み、伐採する人に細かい指示を出す人です。
 先ず、倒す方向に切り口を付け最後に倒す反対側より切って倒すことになります。木は悲しげな音を立て、大きく跳ねながら倒れました。早々、切り口を見に行くと、水分がジワッとにじみ出てきて今まで地から水分を上に昇げていたことがはっきりと分かります。
 この倒された木が遡ること130年前にこの地に植えられ、大切に育てられてきたことを思うと、自然と人とのかかわり、愛情を掛け育て上げた人の優しさを感じます。
 山里の生活は豊かで素晴らしい良さを沢山持っていても、ただそれだけでは生計を立てて暮らして行くことが困難だと云うことで、こう云ったキコリさんが激減。若い人と云われるのが50代の人だそうです。
 消費者である私達も、他人事として聞くのでなく、どうしたら良いかを一緒になって考えてみる時期である様に思えます。
(H19.8)

温暖化について

 最近、国内で俄に地球温暖化の問題が新聞紙上またTVでも取り上げられる機会が多くなりました。先日も、ドイツのハイリゲンダムで開催されたG8サミット主要国首脳会議でもこの問題が取り上げられ、気候変動問題で温暖化ガス排出量を2050年までに最低半減させるというEU・カナダ・日本の決定を参加国が真剣に検討することが議長国ドイツのメルケル首相によって発表されました。
 1997年12月に京都で開催された国連による地球温暖化防止京都会議からにしてようやく世界CO2総排出量239億トン(1996年データ)の内、一番のアメリカ(53億トン)、二番の中国(34億トン)、三番のロシア(16億トン)、ちなみに日本は四番目(12億トン)が同意したことは重要なことだと思います。が、人間はやはり具体的な現象が世界的規模で生じないと真剣になれないようです。
 先日も、国内外の環境問題に取り組んでいる人の話を聞く機会がありましたが、今ここで文明の加速にブレーキを掛けないと暴走して人間の手におえない状態になるとのお話しがありました。詳しいことはここでは書けませんが、世界の気温が2度上昇すると原子爆弾が落とされた以上の大きな被害が世界的に生じるとのことです。
 私達に出来ることは取り敢えず何でしょうか? エネルギーをあまり使用しないよう生活することだそうです。
 その一つの方法として、ドイツでは今、食料品などにも産地はもちろんの事、どれ程の距離から運ばれて来たかをも表示しているそうです。物をつくるにもエネルギーを使いますが、輸送にもかなりのエネルギーの消費があること、私達も少しでも省エネに貢献するため、出来るだけ近くで採れたものを食べる地産地消を行いたいと思います。
 又、私共の仕事、住まいづくりにおいても、近くにある建材、日本の木を使うことが山の荒廃も防ぎ、水の浄化にも役立ち、又海もきれいになり、省エネになる一石四鳥の効果があるものと思われます。
 皆さん、いかがでしょうか?
(H19.7)

同居

 先日、奥様を二年前に亡くされた方とお話しする機会がありました。葬儀後暫く経ってからお会いした時もそうでしたが、今一人暮らしで非常に寂しい思いをしているとのことです。
 子供さんは男一人、女一人で、近くには住んでおられる様で時々は顔を見せてくれるそうですが、寂しい気持ちはおさまらないとの事です。このご夫婦も息子さんが結婚される時、同居するかどうかの話があったそうですが、その折り、自分たちも親と同居していて苦労したとの事で、奥様が嫁さんの立場を考えて自分達だけで暮らすことを決断されたそうです。しかし、その後自分が病に倒れてからと云うもの、同居しなかった事を後悔し、亡くなられたとの事です。
 最近、新聞でもこの親と子の同郷の事が取り上げられていました。日本では昭和の終わりの頃は、同居率が60%近くあったそうですが、時代の変化と共に、今では30%ぐらいで、諸外国、特にお隣の国韓国では50%だそうです。日本の低さが目につきます。
 少子化や高齢者社会のことを考えると、自分が安心して老後を送る為には、身近に親しい人達が住んでいた方が心強い気がしますが、皆様は如何ですか。
 同居するなら、結婚を機に(非常に難しいとは思いますが)それが無理な人はスープの冷めない距離に住んで頂くのが、安心を買うには必要な事ではないでしょうか。
 これから退職を迎える人は特にその所を考えて、自分の人生設計をもう一度見直す機会にして頂ければと思います。今、60才の人の平均余命は男性の平均寿命77才、女性84才より長生きする様ですし、100才の人が全国で約3万人位いるそうです。
 安心・平和な人生を楽しく過ごす為には、どうしたら良いかを一人一人が真剣に考えることが今後大切だと思います。
(H19.5)

私の旅のすごし方

 以前から一度は行ってみたいと思っていた石垣島へ、昨年の秋に出掛けることが出来ました。十一月の沖縄諸島は波も少なく、比較的穏やかな日が多いと云う事で、日を選びました。
 旅行に出るに当たって情報集め等をするのですが、今の人達はパソコン・携帯電話で簡単に資料を取り寄せ、旅費も値打ちな所を探すのがとても上手です。
 私のような戦前生まれの者にとってはそういう事が苦手で、つい若い人に頼ってしまいます。今回も同居している息子の嫁が手際よくやってくれました。ただ、私達も折角、遠い所へ行くのだからと、ゆっくりしたい気持ちもあり、主な所だけを出発前に予約し、後は現地に着いてから行き当たりばったりで旅をするのも面白いと思い、出掛けました。
 私達が予想していた様に一日目は天候にも恵まれ、石垣島から西表島へ渡り散策を楽しみました。西表島では、カヌーに乗って島巡りをしてみたいと思っていましたが、家内や息子達の反対で一日バスツアーで廻ることにしました。結果的にはこれが良かったと思います。島の珍しい景色や住民の方々の生活にも触れる事が出来たり…
 また、その日の夕食はホテルで取るのも芸がないとの事で、こだわりの石垣料理を食べに外出しました。そのお店は町の中心より外れ、ハブも出没する畑の中にあり、知る人ぞ知ると云った店でタクシーによる移動に頼るしかありません。
 幸いにも私達夫婦二人だけの貸し切りで、石垣島伝統の佇まいで創作料理(地元の山菜が豊富に使われた)を堪能することが出来ました。また、翌日はタクシーを借り切ってこの石垣島を一周しました。これまた幸いにも昨夜の運転手さんで、地元生まれの地元育ちだけあって、普段観光客が行けない所まで連れて行ってもらいました。
 昼食も、地元の方が美味しいと云って利用される食堂で郷土料理を頂くことになったりと、旅の楽しみは意外性に出会うことにもあります。
 今後も、時間を作って日常とは違った体験の中で気持ちをリフレッシュしたいと思います。
(H19.3.30)

甘やかされた親

 先日の夜、たまたま早く帰りテレビを見る機会がありました。夕食を終え、NHKをつけるとクローズアップ現代で「要求する親、問われる教師」と云う題で放映されているのを見る機会がありました。
 私の家では、まだ孫も2才と幼く、学校に問題が多いとは若い人達から聞いてはいましたが、現状はどの様になっているのかと少し興味もあり、見ることにしました。その中で一部気になった事がありましたので、書いてみたいと思います。
 今の学校の先生は、生徒に学問を教えることだけでなく、生徒の家庭の雑用まで面倒を見ることになっている様です。例えば、「帰宅時間がいつもより少し遅いので何かあったのですか」との親からの問い合わせに、「今日は補習があり、今終わったところで帰ってもらったところです」との報告をする教師の様子を見て、今の親は確かに子供を巻き込んだ事件があることで、この様な事は仕方がないことなのかと思います。しかし、その後に放映された内容の、「子供が朝早く起きて学校へ行かないので、先生、うちの子供を起こしてもらえませんか?」との親の要求にはびっくりしました。
 自分の子供に躾が出来ない親がいるのだと云うことと、又、その要求を受け入れようとする学校側の態度にもびっくりです。甘やかされて育った親が、そのまま子供も造って育てていることが、この様な人達を作ってきたのではないかと思います。
 この様な人達は気の毒だと思います。何事も人任せにして、自分の都合だけで生きている人ですから、少しつらいことがあるとすぐ挫折して、世間を恨むこと以外、自分から何かをしようとしない人ではないかと思います。
 この様な人は、人からも信用もされず暗い人生を過ごし、終えていく事になります。人に頼る事は最小限にして生活をしていくことが大切だと思います。
(H19.2.8)

平成18年

自然は芸術家

 今年で4年目の森林ツアーについてお話ししたいと思います。今回も沢山の方にご参加いただきました。11月中に開催する予定が、当方の都合で12月3日(日)に行いました。今回は隣の県、奥三河国定公園内の森林を観に行くことにしました。
 下見をした時期は10月で、又その日は朝からどしゃ降りの雨で景色も良く分からないまま愛知県の農林水産事務所の職員の方に案内していただきながら、間伐材の伐倒現場や散策をするブナ林の近くを下見しました。
 案内していただいた方が云われるには、この場所は夏はオートキャンプで大変賑わうところですが、冬場はほとんど人が訪れることはありませんとのお話しでした。又、実施する時期は紅葉も終わっていて余り見所はありませんと云う様なつれない返事が返ってきました。
 当日の天気の良い事を祈りながら、その日を迎えました。皆さんも記憶に新しいと思いますが、前夜より強い寒気を伴った寒冷前線が東海地方を通過し、朝、晴れたものの今年一番の寒い日になりました。
 早朝7時出発のバスは、下は4才から上は82才の老若男女を乗せ無事に出発。途中、休憩を取りながら目的地のつぐ高原グリーンパークへ向かいました。稲武から有料道路の茶臼山高原道路を登りはじめ、しばらく行くと山頂が白いではありませんか。寒いから雪が積もっているのかと思いながらどんどん登っていくと、氷が木々の枝や葉に付いて太陽の光でキラキラ輝いています。霧氷です!幻想的な美しさに一同感激の言葉が飛び交います。又、車中よりカメラでパチパチ、そして目的地に無事到着。
 参加された人達の日頃の心掛けの良さか、12月には滅多に見ることができない霧氷に出合えたことは、何と幸運なことかと思いました。それにしても、自然は芸術家であるとつくづく思いました。
(H18.12.14)

人に教える

 私はテレビを見るのが好きな方です。その中で、よく見る番組があります。皆さんの中にもご存知の方が多いと思いますが、民放の夜10時頃から始まる「世界ウルルン滞在記」です。ある時、若い女性がモンゴルの遊牧民族と生活を共にして、彼らが今も使っている「ホーミー」と云う声の出し方を習うという企画が放映されました。
 このホーミーと云う声は2つの違う音を同時に出すことによって、動物に“やすらぎ”を与えることが出来るのだそうです。実際、子供をオオカミに殺された雌のラクダが、精神的不安定の中この声を聞き目から涙を流して他のラクダの子供にお乳を与えていました。生活の知恵だと思いました。
 そういう生活の中で、女優がその家族のために朝早く起きて彼らに教えてもらったミルク入りのお茶を沸かすことになります。彼らが寝ているところで、薪がわりのヤギやラクダの糞に火を付けようとマッチをすりますが、何度も直接糞に火を持っていきますので付きません。それもそのはずです。火を起こす媒体の紙が必要だということに気付いていないのです。
 その様子を寝たふりをしながら見ていたモンゴルのお母さんが、古紙を彼女に放り投げます。彼女はそれを使って火を付けようとしますが、これがまた、紙を丸めてやらないので、なかなか火が起こってきません。結局のところ、マッチを68本も使ってやっと火を付けることが出来るわけですが、私がこれを見ていて感じたことは、どうしたら出来るかを“本人に考えさせることが大切だ”と云うことです。
 私なら、子供が同じように火の付け方が分からない時、すぐに「このようにしたら」と云って口出しして火の付け方を教えてしまうと思います。彼らは、火を起こすのに必要な材料を与え、まず自分自身で工夫するようにもっていきます。忍耐強く待つことの大切さを私に教えてくれました。
 大切なことだと思いますが、皆さんはどの様に思われますか?
(H18.9.29)

自然の法則

 皆さん、中学校で学んだことを思い出してみませんか? 鎌倉時代、すなわち中世の随筆家鴨長明(1212年)の方丈記の書き出しに有名な文章があります。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。」とありますように、人間の生き死も又これと同じであることを長明は云っています。
 この事柄を私なりに解釈してみたいと思います。自然界は、全て動いていると云うことです。少しでも動きが滞まれば、そこに不都合が生じます。水を見てみましょう。水は幼い子供でも分かるように、水が蒸発して雲となりその雲の中の水滴が集まって雨になり、地上に水となって降ってきます。その雨が山に降った場合は川となって海に戻って来て、又その水が蒸発してと云うように循環しています。
  又、空気も気圧の高い(エネルギーを含む大きな)南から、気圧の低い(エネルギーの低い)方へと流れます。この様に自然界のものは全て流れを作りながらバランスを取っています。人間の身体も血液という流れがあるから生きています。この流れが悪くなると病気が生じます。
 又、人間の思いも同じことで、物事にとらわれているとそれが病気の原因を作ります。起こったことに対していつまでもクヨクヨする人や、いつも何か自分に不幸な事が起きないか気にしている人達は自然の流れからすると逆行している人達です。何事も、起こったことを問題にせず、その現実を受け入れて起こった事に感謝できる自分であることが大切であると思います。
 人生をうまく生きるためには、先人達がよく云っている「自然の流れに乗って生きていく」ことが一番楽しいことだと思います。皆さん、如何お思いでしょうか。
(H18.8.18)

子育て

 私の家では今、南米ボリビアに行っていた末の娘が、お産の為帰ってきています。当初は、向こうで出産との話もあり、「どうしようか」と家内とも相談していましたが、運良く日本でと云うことになり、実のところ「ホッ」としました。
 世の親は娘を嫁がせる時、近くにとの気持ちが強いようです。確かにこうした時、近くに居れば世話をする側、また、してもらう側、両者に好都合ですね。
 その娘も、この五月に無事女の子を出産致しました。向こうでは、お義姉さんの子供達の世話をしていたので、子供の扱いには慣れていると云っていましたが、実際、自分の子供を育てる段になって、やはり勝手が違うようです。
 退院した最初の日などは、お乳をやってしばらく寝かしていたら、噴水のように吐いたと云って大騒ぎをし、家内に「大丈夫、様子を見ましょう」と、なだめられても、納得いかない様で、「こういった場合、連絡を!と言われたから」と夜中に病院へ電話。やっと看護婦さんの説明に納得していました。
 私たちも子供を三人育ててきましたが、私にとっては子供に触れたのは、生まれたてとその後、家内が実家から戻ってきてからです。既に子供も一ヶ月以上で、本当の新生児が大きく育って行くのを見るのは初めてです。一時間置きぐらいに思える程、お乳を欲しがり、泣くとは思ってみませんでしたから、女性が子供を育てることは、本当に大変だと感じました。
 この事とは裏腹で、子供の虐待の多さを耳にされる方も多いと思います。
 先日も、民生委員の方から、この地域でも多くの児童が親から虐待を受け、食事も充分に与えられてない状況だとお聞きしました。
 子育てをどうして良いか分からない、また、相談できないという親が昔より確実に増加しています。これは核家族化が進んだ事によって個人主義、身勝手な人達が増えたのにその原因の一つがある様です。
 この事を民生委員の人だけでなく、私たちも昔の近所付き合いの良さを見なし、お陰様の心で過ごしていけたらと思いますが、如何でしょうか(?)
(H18.6.16)

美しい日本の四季

 当社の事務所近くに伊勢路と都路(京・大坂)の分岐点に伊勢神宮参拝、第二の鳥居があります。最近、熟年の人達の散策場所の一つなのでしょう、よく団体で人々が集まります。
 又、ここには江戸時代の旅人の為、飲料水が近くの山より引かれていて、いつも冷たい水が出ています。今は丁度、花の季節で、そこに植えられた何本かの桜が満開で真に見事です。
 周囲を道路に囲まれていて、車の騒音がある所ではありますが、その場所に立つと、人は何かしら安堵感を覚えるのです。
 それは、大きな木と水があることによりもたらされている様です。そこには鳥たちもやって来ていますので、やはり人間も動物であることを思うとむべなるかなと思います。
 文明がいくら発展しても、人は自然の優しさを何処かに見つけないと心が落ち着かない様に感じますし、現代人は会社でも家でも自然に触れる機会が少ないのではないでしょうか。
 私も会社と家を往復する中で、ついつい車に頼る事が多く、知らない内に季節が移り変わっていることの多いのが現状です。折角、日本の美しい四季ある国に生まれながら、それを享受することなく年月が過ぎていくのは大変もったいない気が、最近しております。
 戦後、日本人は便利さを追い求めて一生懸命、文明の発展に力を注いできましたが、自然を愛でる心の余裕がないと人生が味気ない様、思います。
 最近、通勤等においても歩く人が増えたのは、ある意味、文明の行き過ぎに気がついて新しい生き方を始められた、と私の目には映ります。
 きっと、こういう人達が新しい時代を造っていってくださるのではないでしょうか。
 皆さん、如何思われますか?
(H18.4.10)

省エネ住まい

 先日、不動産の研修会で宝塚に行きました。コインパーキングやウイクリーマンションの手法についてです。案内してくれた彼の自宅が近くにあり、その家も見学しました。
 その家は、先代が阪急電鉄が宝塚を開発した時、一手に土木工事を引き受けたこともあり、資産家で約1,000坪の土地に親の家200坪と彼の家60坪が建っています。
 200坪の家には父親が既に亡く、現在は母親一人で住んでみえます。建物が広すぎて寒いので、今は女中部屋の6帖間に寝起きをしているそうです(モッタイナイデスネ)。
 又、最近こんなことがあったそうです。雨漏りがあって直してもらおうと思い、屋根業者に見積を依頼したら、何と4,000万円かかると言われてやめてしまったとの事です。
 固定資産税にしても、毎月40万円程支払っているそうで、彼が云うには「家を壊したいのだが、自分では壊すこともままならない。何か良い方法があったら教えて欲しい」と…。
 この様な資産持ちの人達を私も2~3人知っていますが(負け惜しみに聞こえるかも知れませんが)、広い土地に大きな建物を造ると、本人より相続した人がお困りになる例が多いようです。
 家造りは、分相応のものを造らないと、建物の耐用年数が来ない内に壊されていく事が多いので、大変もったいない事であり、又、資源、ひいてはエネルギーの無駄使いになると思います。
 これから家を新築される方、くれぐれもご注意下さい。あなたの子孫の為に、大きい家は必要ありませんよ!
(H.18.3.1)

新年おめでとうございます。

 ある日曜日、久し振りに「三重掃除に学ぶ会」の総会が菰野小学校であり、社員と参加してきました。この会は、ご存知の方も多いと思いますが、イエローハットの社長(現在、相談役)の鍵山秀三郎と云う人の掃除哲学に学ぼうという有志の集まりで“日本を美しくする会”の行事です。
 第一回目「掃除に学ぶ会」が、日本大正村で開催されてから全国に広がり、今年は96カ所で開催されました。この会は、現在ブラジルはサンパウロ、中国は上海、アメリカはニューヨーク、台湾でも行われていて、今年は世界大会がブラジルでありました。私も平成七年、神奈川で行われたのに参加したのが始まりです。
 趣旨は「心磨き」の会で、特定の組織や団体に属しているものではなく、又、利益追求や宗教等も全く関係のない組織で、自分が行きたい時に参加すると云うものです。
 今回は、菰野小学校の父兄で高倉さんと云う女性が、自分の子供がお世話になっている小学校を是非きれいにしたいとの思いから、コツコツと3年間トイレ掃除を続けてこられました。仲間も増やしてやっと学校側の理解も得られ、この度の運びとなったとのことです。
 当日は校長先生をはじめ、生徒の皆さんと全国から参加した仲間達約250名程で各班に分かれ、トイレの掃除をしました。初めての参加でも、若い方が多いのには驚きました。物質的に豊かな現代、物質では満たされない何かを求めて参加する人も多い様です。
 人の心が変われば、世の中も変わると申します。
 昨今、小学生を巻き込んだ事件が頻発しています。人の心のすさみが悪い心を作ると鍵山さんは云われます。世の中から荒ぶ心を無くする努力を、お互いがやっていけたらと思います。
(H.18.1.1)

平成17年

サイパン訪問

 気の置けない仲間と旅行をすることは何よりも楽しいことです。20年前より同じ年代の経営者の仲間7名で積み立てをしながら、お金が貯まったら海外旅行に行こうと云うことで、今年の11月初旬にグァムへ行くことになりました。
 それぞれ仕事の都合もあって全員が一緒に行動することは難しく、私は1日遅れて皆さんの仲間入りをしました。又、現地での行動も夜は一緒に食事をしようとの決めだけがあって、思い思い行きたい所、やってみたいことはバラバラです。私は、グァムへ行くのであればサイパンも寄ってみたいと思っていましたので、一部の仲間と行くことになりました。
 サイパンはご存知のように、太平洋戦争においては激戦の地で、沢山の日本人が戦死した場所と聞いていますが、実際に訪れてみると日本の淡路島ほどの大きさの島で、島を一周するのに大して時間がかかりません。又、戦後60年が過ぎたとは云え、今も戦争の傷跡が残っています。海上ではアメリカ海軍の船が今でも警戒を怠っていません。
 しかし、旅行者の日本人や韓日の新婚さんにとっては、リゾートに来た開放感でその様な所へはあまり目を向けない様です。私達は戦前生まれで、多少とも戦争の記憶のある年代です。天皇陛下も今年初めてこの地を訪れ、戦没者の供養をされたと聞いておりましたので、私達も線香とお酒を用意し、特に多くの犠牲を出したと云われるバンザイクリークやアッピ山の麓のスーサイドクリーフの慰霊塔に参拝しました。
 片方は海の断崖、もう一方は山の断崖で、それぞれ150m~200mの高さがあります。アメリカ軍に追いつめられ飛び降りたと云いますが、どんな思いが心によぎったのだろうと思い手を合わせてきました。
 戦争によって現地の人達にもかなりの犠牲が出たと聞かされましたが、戦前日本が国連より統治を任されていた時は、福島県出身の松江春次と云う人がサトウキビを植え、サイパンの基幹産業に育て、大いに島の経済が潤っていたとの事です。その銅像が今も彩帆(サイパン)香取神社のある公日の一画に建っています。
 戦争が終わった直後、アメリカ軍が壊そうとしたそうですが、住民の懇願によって残ったと聞きました。外国の地で日本人の銅像が残っているのは、野口英世とこの松江春次さん2人だけだと案内人の人が云っていました。
 そういう先人達の努力があったためか、今も対日感情はすこぶる好い様です。海外へ出掛けてみて、日本人の良さを改めて知ることは嬉しい事です。
(H.17.12.1)

ちょっと立ち停まってみたら

 建築を志して40年、住宅建築を本格的にやり始めて20年程過ちます。住宅造りを取り組みだした頃は、公共事業や企業の仕事発注が沢山有り、同業者の人からは「中村さん、そんな面倒な仕事をよくやるなあ」と言われたものです。
 今になると、そう云われながらも住宅造りに取り組んできて良かったと思います。しかしながら当初は、なかなか新築物件のご縁が頂けず、それではと云うことでコンサルタントに入って頂き、大手企業が勧めている様な企画住宅を商品化して販売を手掛けました。お陰様でその頃は、新築のご用命も頂き良かったのですが、いかんせん、大手の真似をした商品としての住宅は、すぐ大手に先を越され、先細りになって行きました。
 そんな時、住まいづくりの考え方を根本から覆す出来事がありました。それが環境工学博士冨田先生との出会いだったのです。早速、この住宅の環境科学を研究しているグループのお仲間に入れて頂きました。よくあるフランチャイズでなく、学びたい人だけが席を置くスタイル。
 住宅を単なる建物として捉えるのではなく、「住宅=建物+環境」であるとし、又、住宅の本来の目的(我々のグループが思っていること)は“幸せな家庭生活が永続することである”と捉え、その役割を果たすためには、どの様な条件が必要かを考え、提供・提案しているのです。
 住宅メーカーはもちろんのこと、建築家と云われる先生までが、住まいの本質は後回しにして住宅を自分自身のの作品として捉え、造られていく現実を見る時、顧客第一主義と口では云いながら、お客様に本当の満足を与えているのだろうかと思います。
 もっと、住宅と云うものを建築家と云う立場でなく、住まい手側の立場で捉え直してみることが必要ではないかと思います。
 私共も日々高進して参る所存です。
(H.17.10.24)

退職を迎えるということで

 経済誌によると、団塊の世代が2年後に退職を迎えるということで、その退職金をあてにして各企業はそのお金の一部を自社に取り込もうとその準備に余念がありません。又、退職する当人は、そのお金をあてにして老後の生活設計を画いています。人によっては、子供も独立したので、2人で暮らしやすい住まいを造ろうかとか、夫婦で旅行三昧をしようかとの楽しい計画をされる方もいらっしゃると思います。
 しかし、最近この楽しい夢を壊す様な内容のドラマが放映されていると聞き、びっくりしました。それは、ご主人が退職したその日に帰宅すると奥様から「別れて欲しい」との離婚話をされ、主人公があわてふためく話です。
 世間ではありうることだと思いました。夫婦であることを改めて考えて見ると、結婚する時は相手に大きな期待を持って見たり、又、見た目や恋愛感情が優先する為、相性なども余り気にせず相手を選んでしまう様です。
 しかし、結婚というのは一番相性の悪い人と結婚しているのかも知れません。時折、自分にとって気になる嫌な部分を見せられたりします。しかし、これも悪いことではなく、神様はその人に足りないところを勉強するために相手を選んでくれているのでしょう。
 だから、お互いがまだまだ学ぶ必要のある夫婦は、ずっと一緒に過ごし、どちらかが私はこの人から学ぶものが無いと思った時、別れの期が来るのではないでしょうか。
 どうお感じになられます(?)
(H17.10.22)

あなたは大丈夫ですか?

 皆さん、誰でも自分だけは大丈夫だと思っていませんか(?) いつも健康に自信のある人ほど、その想いが強いようです。
  私にこんな友人がいます。一年に一度、「文化の日」に彼の会社でイベントがあり、いつもそれに参加し、又、普段は月に一度手紙のやり取りをしている間柄です。彼から昨年の秋に手紙が届いて、体調が悪いので今年のイベントは中止したいとの内容でした。
  又、自分は膀胱癌がかなり進行していると言うではありませんか。彼はすぐには入院せず、世間で癌が治った・良く効いたとか云う方法「温熱療法」「アガリクス」の服用、又「特殊な波動水」等々試してみられたようです。……が、一向に良くならず、そうこうしている内に、膀胱癌は膀胱での出血があるため、極度の貧血になり病院に入院、抗癌剤の投与も受けたようです。それでも病院の治療では不安と思い“藁”にもすがりたいとは、この様な事を云うのかと思いましたが、今度はフィリピンで「神霊治療」を受けて治った人がいるからと、その体験に三回ほど現地に行き治療を受けたそうです。
 それでも癌という病気は、そう簡単に治るものでなく、私が励ましに彼に会いに行った時も治っていないように見えました。そしてつい最近、彼から写真入りの手紙が届き、次のことが書いてありました。
 「中村さん! 色々と試してみましたが、毎日笑うことを心掛けております」
 その写真を見ると私が会った時より顔色もよく、ひょっとしたら彼は癌を克服出来たのではないかとさえ思えました。
 最近、新聞にも「笑い」が病気を治すというような記事が載っていたかと思います。日々楽しく過ごせる人は病気になることは少ないのではないかと感じます。
 ストレスが多い時代ですが、ユーモアを持って人と接していきたいものです。ガンコで思い込みの強い人が癌になるとよく云われています。
 皆様、心当たりの人は気を付けましょう!
(H17.8)

植林の輪

 最近、植林をすることの大切さを知る人が増えて来たことは大変嬉しいことです。ご存知の様に日本でも国土の乱開発によって、山が禿山になってその結果、海では魚が獲れなくなって海の魚師さん達が山に落葉樹を植えに行っているとの報道を新聞等で見ます。この理由は皆さんご存知だと思いますが少し補足しておきます。
 日本の場合、特に冬の到来と共に落葉樹の葉が枯れ落ち、それが永年の間に堆積して土を造ります。その時に土の中に鉄のイオン物質が出来るそうです。それが雨水と一緒になって川に流れ海にそそぎます。そこで砂浜の波によって豊富な酸素を取り込んだ海水によってプランクトンの発生をうながし、それを餌とする小魚が増え、それをより大きな魚が食べると云うように食物連鎖によって海が豊かになるそうです。
 しかし最近では中国の奥地に植林をして土地の砂漠化を防止することも日本人の手で行われています。木を植えることによって砂漠に水がよみがえり、昆虫やそれを食料とする鳥や獣が集まり自然豊かな環境が出来上がります。
 人間はどこでも生活出来る生き物ですが、自然豊かになると闘争心を起こすことなく生活できます。今、世界で紛争の起きているところを見ますと、緑の少ない所ではないでしょうか。人間は環境に左右されます。心豊かな人間、世界が平和になるためには皆さん、緑の少ない地域に植林の輪を広げて行こうではありませんか。
(H17.7)

生活に少しゆとりを

 バブル崩壊の頃だと思いますが、“日本人、そんなに急いでどこへ行く”と云う様な標語がはやった時期があったと思います。そのころに比べて今はいったいどうでしょうか。
 最近私は住宅環境の研修会に行くようになってから東京、大阪へ出掛ける機会が増え、時間の節約のためにも新幹線に乗ることが多くなりなりました。ダイヤを見ますと、ここ2~3年で3~5分間隔でスピードのある電車が運転されています。その結果、時間のロスが少なく目的地に着くことができ大変重宝に思っています。
 しかし、最近電車が走行中に大きく揺れることがあったとき、レールの保守・管理は大丈夫だろうかと一瞬不安がよぎりました。日本の鉄道は世界一安全に管理運行されているので心配ないだろうと、また、自分が乗っているときは大丈夫だとその時は思いましたが、冷静に考えるとレールや架線、また車輪を酷使する訳ですので、安全のために定期的にレールや架線の取り替えやその他の異常をチェックして運行していると思いますが、やりくりが大変ではないかと思います。
 この間のJR西日本の事故を見てもお客様の利便性を優先するあまり、無理なダイヤでの運行があの様な大きな惨事を起こしたのではないかと思います。
 生活に少しゆとりを持って行動することがお互いに良い様に思いますが、皆様はいかが思われるでしょうか?
 最近の人々の行動や言葉使いを聞いていても、殺伐とした感じを受けますが皆さんはいかがですか。
(H17.6)

床の間と仏間

海外への出向機会があり、職業柄やはりその国の住まいについて関心を持つことがあります。日本の住まいと西欧やアメリカの人達が住む住まいと明らかに違う点が昔はありました。それは床の間とか仏間です。
 最近、日本でもこれを造る家の人が減ってきています。私は少し残念に思っています。私の家は、跡継ぎの家ではありませんが、父親はやはり昔気質の人で床の間のある座敷を造りました。信仰心があった方で、親の命日には必ずお経を上げて、その日一日は精進料理を食べさせられた記憶があります。
 だから知らず知らずの内に先祖崇拝から、人知が及ばない自然の恩恵や驚異について教えられ、人間は人文の肉体だけで生きているのではないことに気付かされた様に思います。
 欧米の人達はキリスト教の人が多いと思いますが、彼らは室外に信仰の対象を求めたことで、教会に毎週祈りに出掛けて行きます。日本人も、もっと信仰の深い人はお寺や神社に行くようですが、日本人が室内にその様な祈りの場所を造ったことは大変合理的な様に思います。
 そして、このことは人間形成に大きな役割を果たす上で重要です。最近の若い人達が、生活習慣の中で親や年寄りに感謝の気持ちを持てない様にしているのも、日本の住宅から座敷が消えていったことが大きな原因の一つであると思います。
 また、人間は人知を越えた何かが存在することによって畏怖し自分を律する気持ちが育ち、社会がうまく機能することになると思いますが、皆様はいかが思われますか?
(H17.5)

オイスカ

 私のライフワークの一つとして、先日三年振りにオイスカの仲間と緑のボランティアの旅に出ました。場所はパプアニューギニアのラバウルで、年輩の方はよくご存知だと思いますが、第二次世界大戦中、南太平洋の重要な基地があったこと、又、歌に唄われているところです。
 このラバウルには、オイスカの研修センターがあり、我々もそこに泊りました。現在150名近い研修生がパプアニューギニアの各地から集まって来て、寝起きを共にしながら日本の昔の循環型有機農法を学んでいます。
 ここのスタッフは所長の荏原さんが唯一の日本人で、他の職員は全て日本で研修したオイスカのOBが携わっています。荏原さんが着任される前は農薬を使った農業をやっていて、結果、地力が弱り、害虫が増え、収穫が少なかったそうです。
 又、この研修センターは独立採算性なので、経営も厳しいものがある様です。お米や木の苗に加え、ワニの革も売ったり、最近ではバニラの木を育てて香辛料として売る予定もしています。
 ここの青年たちは、農業・畜業・林業を学び、自分達の地域に帰ってそれを実践し広めていく役割を担った人ばかりなので、学ぶ姿勢が違います。毎朝6時の国旗掲揚に始まり、点呼、体操の後、仕事の準備をします。7時の朝食後、各々の仕事にかかります。
 先ず私が驚いたことは、研修センターが美しく整理整頓されている事です。それと全員礼儀正しく、目が合えば必ず挨拶をしてくれます。又、心遣いをしてくれることです。例えば、私が夕方に洗濯物を干し、夕食後宿舎に戻ると干した物が失くなっていて一瞬驚きました。ところが、翌朝きちんと干されているではありませんか。夜、雨が降るのを懸念して気を効かせてくれた様です。
 沢山の研修生が居るにも係わらず、大きなトラブルもなくやっておられるのを見るにつけ、日本の若い人にも是非一度、ここでの体験をして欲しいものだと思いました。
(H17.4)

土地の有効利用

 お陰様で当社の不動産事業も皆様の温かいご支援を頂き、今年で三年目になり、内容も充実してきたと自負しております。
 ところで、社長の私が、以下お話しする様な事を考えていては仕事にならないのですが、一個人として感じることをお話しします。
 不動産の取引で、大きく分けると土地と建物があります。建物の取引については別に何も思わないのですが、土地の取引について色々な事例を見聞きする内に、疑問が膨らんできました。
 それと云うのも、最近、高齢で農地を耕作出来ない人や、古い集落に住んでいた人達が住みにくいといって放置された土地が、かなりの数ある様です。
 その事で、地方の自治体も困っているのが現状です。
 放置された土地は、管理をしないと草が繁茂することになり、秋口に枯草が火災の原因になったり、又、その草の種が飛散し、付近の農家が草の駆除に苦労する等のお話しを聞きます。
 又、不法投棄の場所ともなります。土地をお預かりしている地主の方からは、その土地の有効利用やその売却についてご相談を受け、「固定資産税を払うのに高くてね」とのお話しも聞く事しばしばです。
 何世紀も前、土地は誰のものでもなく、人が自由に利用していたものを時の権力者が所有物化した経緯。
 そこで、一層のこと、土地の全てを国からの借り物として、必要な分だけ国から借用し、利用しなくなったら国に返却する。
 その為の利用提案を民間に委託すると云うのは、どうでしょうか?
 そうすれば、土地の有効利用が図れ、醜い相続争いも失くなるのでは、と思うのです。如何なものでしょうか?
(H17.2.20)