中村建設株式会社

木の家、自然素材住宅、注文住宅、木造住宅の中村建設

匠たちの想い

良きライバル

(有)加藤設備管工 K.K氏
 このような機会を頂いて、何を書こうか迷いましたが、自分の事ではなく、私の兄の事を書こうと思います。私の兄は、私の三つ年上で昭和47年生まれです。私とは頭の中身が違い、四年生大学を卒業し、インテリアメーカーに就職しました。しかし、僅か3年で造園屋さんに転職しました。理由は未だに分かりませんが、3年程で独立し京都に行ってしまいました。その間に結婚もして、生活は大丈夫なのか(?)と思っていたら、次は何とカナダへ行ってしまったのです。
 私たち兄弟は、普段あまり話をしないので、何を考えているのかさっぱり分かりませんでした。でも一度だけ京都の家を訪ねたことがあり、その時はお互い妻が居たこともあって深い話をすることが出来ました。話をしている内に、考え方が私にそっくりで野心家だった事が初めて分かり、やはり何か企んでいるんだろうと思いました。
 それから数年間なんの音沙汰もなく、私は3年位で諦めて戻ってくると思っていたのですが、なかなか戻っては来ませんでした。
 カナダに行って7年目ぐらいに妹の結婚式があり、久しぶりに帰国しました。兄は親父を嫌っており、久しぶりだというのに、やはり喧嘩をしていました。(海外に行ったのも、親父と居るのが嫌で逃亡したとの説もあるくらいです。)
 結婚式の後日、夫婦3組で飲みに行ったのですが、その話の内容が驚きでした。仕事は上手くいっているらしく、カナダの日本大使館の庭園まで手掛けているとの事でした。ホームページも見たのですが、和と洋が一体となった灯篭の様なものも作っているようで、なかなか上手く仕上がっておりました。
 昔から、工作や美術は抜群に上手かったので、自分の特技を発揮しているな!と思い、私も自分の事のように嬉しく思いました。仕事としては、私の方が早い時期に立ち上げていたので、少し優越感に浸っていたところもあり、正直焦りました。ただ、やはり自分の兄なので嬉しく思う方が強かったです。私も負けてはいられないと思い、何かもっと仕事にこだわりを持ちたいとも思いました。
 あれから3年経ちましたが、また音沙汰なしになりました。兄はもう帰って来ないつもりでしょうか?元気でいてくれればそれでいいのですが…
 また大きくなって帰ってくるのを楽しみにしているのもありますが、私も負けてはいられないとの思いもありますので、これからもいいライバル関係を保てれれば!と思います。

改善

㈱ LIXILトータル販売 H.I氏
 私の仕事は、アルミサッシ販売の仕事をしております。長いもので、この業界に20年以上勤めております。大学卒業と同時に父親の家業、いわゆる世間でいうサッシ屋に就職しました。父は7年前に他界し、その後、私が5年間代表取締役として仕事をさせてもらいました。2年前に仕入先の総合合弁を機に、グループ入りし現在に至ります。
 グループ入りした新しい会社は、全国に60支店以上あり、社員数も1000人を超える規模の会社で、その中で今、推し進めていることが、改善活動です。一般的に企業・会社組織で5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・躾)とありますが、当社では6S活動(5S+習慣)という改善をしております。
1S(整理)
要る物と要らない物を区別して要らない物を捨てること。
〈当社の真の狙い〉
会社の内外をすっきりさせて作業効率を高めると同時に、問題発見をし易くすること。
2S(整頓)
要る物を所定の場所にきちんと置いて、誰が見ても分かるようにすること。
〈当社の真の狙い〉
看板により作業効率を高めると同時に、目に見えない問題を数値化して見えるようにすること。
3S(清掃)
職場環境や仕事の中身をきれいに掃除すること。
〈当社の真の狙い〉
掃除を通じて問題点を点検する仕組みづくり、点検されるという文化に慣れてもらうこと。
4S(清潔)
社員全員で自主的な改善を行い、整理・清掃活動を維持向上させること。
〈当社の真の狙い〉
自主的な改善活動を継続できる場を定着させ、会社内だけでなく現場での改善に目を向けさせること。
5S(躾)
人・物・金・情報の事故を未然に防止する仕組みをつくり、社員全員で決まりを守ること。
〈当社の真の狙い〉
現場作業事故、交通事故、受発注ミス、不良債権発見のリスクを低減する為のルールを明らかにし、そのルールが守られているかをチェックする仕組みをつくること。
6S(習慣)
〈当社の真の狙い〉
方針管理、改善活動を連動させ他より進んだ強みをつくりあげる。一歩進んだ当たり前を設定する。
 この6S活動を実践していくことで、お客様に満足・安心して頂き、信用・信頼関係をより築いていければと、今後も頑張っていきたいと思います。

心と技

中村瓦店(株) M.N氏
 私の生まれた家は、3代続いている瓦職人の家でした。幼い頃から職人さん達の姿を目の当たりにして育ちました。それは、朝早くから夜遅くまで、かべ土まみれで帰ってくる姿や、その職人さん達の親方(祖父)や親父の姿でした。
 私は18歳から20歳まで、建築の専門学校に行き、そして20歳から迷うことなく家業に入り、親父の背中を追いかけて無心で仕事を覚えてきました。4代目として自覚してきたのは、7年目頃の母の死にあったときです。当たり前であった日常が崩れた時でもありました。
 職人は10年で一人前と言われていますが、母の死を見つめ直し、改めて自分をかえりみたとき、一生の仕事として若い職人を引っ張っていく立場を思った時、技術だけがすべてではなく、心なんだと思いました。当たり前かもわかりませんが、日々当たり前の生活ができる感謝の心であったり、心は日常にも、仕事にも人間同士の間ですごく大事な部分だと思います。
 一つとして同じ職場がなく、それぞれの現場で知恵と経験、そして心と技をもって完成したときの施主様の笑顔でありがとうと言われたときの最高の喜びや達成感。心と技にこだわりをもってやり遂げた仕事には、感謝の心がかえってきます。この心の大切さを教えてくれた亡き母に一人前になっていく姿は見せることができませんが、施主様の笑顔がその答えだと思い、日々頑張っていきたいと思います。
 そして心と技でこだわって施工した住宅や神社仏閣の伝統文化を息子またその息子へと、伝えていきたいと思います。

自分の仕事とホーミー

平野製畳(株) 平野氏
 今回は自分の仕事とホーミーについてのお話を、少しさせていただきます。畳の需要というのは、年々減っており、90年代前半に比べると年間需要はおよそ三分の一程度になっていると言われています。
 さらに、現在国内で流通している畳表(イグサ)の8割以上は中国産となっています。これは、単純に国産に比べて、価格が安いのが大きな要因です。
 そんな中、ウチでは現在4割近くが国産(熊本産)の畳表となっています。そして、その割合は年々増加しております。ただ、6年前までは、ウチも一般の畳店同様、8割以上が中国産の畳表でした。熊本表が増えるきっかけとなったのが、畳表の勉強のため、訪れた熊本イグサ農家の人達との出会いでした。イグサというのは、お米と同様に田んぼで植え付けから刈り取りまで行われます。そして、その農家の人が自ら、織機でイグサを織っていきます。
 正直、こちらのイメージでイグサ農家の人達イコール年配と勝手に決めつけていた部分があって、30代前半から40代のグループの彼らの若さにまず驚きました。その彼らが、お互い情報交換しながらも切磋琢磨して、よりよい畳表をつくろうととても熱心に仕事に取り組んでいました。そして、その出来上がった畳表を見てさらに驚きました。
 今までに見たことのない鮮やかな碧さ、そして、年数が経つとそれがまたきれいな黄金色へと変わっていきます。これが本来の畳の美しさなんだと感じました。もちろん、中国産でもきれいな畳表もあれば、熊本表でも粗悪な畳表もあります。ただ、彼らと出会い、畳表を見て、これで畳を作りたいと思いました。この気持ちがお客様にも伝わって、年々熊本表が増えているように思います。
 そして、この熊本表をお客様にすすめていくうえで、ホーミーで勉強したことはとても身になっています。熊本表は通常より価格が高くなります。それでも、こちらが良き説明をして選んでいただきます。その出来上がった畳を見てお客様が喜んでくれる。そのお客様の喜びが私の喜びでもあります。
 畳を納める側とお客様、双方がいい気持ちで仕事ができ、そして、またそのお客様がリピーターとなったり、他のお客様を紹介してくれたりします。
 職人としての心構え・お客様の立場になって考えるなど仕事をしていく上でホーミーで勉強したことが自分の中で土台となっているように思います。

心・技・体

蒼築舎(株)松木憲司氏[左官業]
 人間が身体を使い、物を作り始めたのはいつ頃でしょうか?多分、紀元前の頃まで遡ることとなるでしょう。生活をするのは、食べること、眠ること、話をすること、他にも沢山ありますが、最低限必要なことをその人なりに感じて、気付いて生活されているのではないでしょうか?
 物を創り出す過程には色々な想いが込められます。もう少し大きくとか、もう少し使い易すくとか…、この繰り返しがその物を使い易くて綺麗な物へと進化させていったのだと思うのです。なにげなく使う日常生活品であれ、自動車であれ、創意工夫の賜物であると思います。
 物づくりの大切さは、人間が生活する上で大事なこと、気持ちをもって腕を使うこと、また時には笑い、時には上手くいかない自分に苦しんでもみたり…
 「心・技・体」どれ一つ欠けても良い物を作り出すことは出来ないでしょう。毎日が勉強の過程、これぞ物作りの原点だと日々感じながら、反省と感謝を繰り返しております。

私の失敗 〜ホーミー教室から学んだこと〜

丸山氏
 私は長い間、住宅建材の営業をしてまいりました。内装材を工務店様に販売したり新築住宅や増改築の受注も受けてまいりました。もう何年も前のお話になりますが、私の旧来の友人が自宅の新築を計画していることを知り、営業マンである私はさっそくこの友人宅を訪問しました。この友人は奥様とお父様、お子さんをお持ちのご家族でした。私は住宅に関するありとあらゆる情報をご提示し、内装建材のカタログをこのご家族にお見せしました。 決定権を持つキーマンはやはり大黒柱である友人でした。彼が言うには「どこにもない家が欲しい」とのことで、予算もかかっただけ出すと言われました。私は当時お取引のあった工務店様と一緒に県内外の住宅展示場を彼と同行、観て回りました。設計も非常に斬新なものになり、約半年をかけて完成しました。
 当時、住宅業界には住宅とは大工・工務店にとって「作品」なのだという考えがはやっていました。「どこにもない」私の友人の家は確かに「作品」と呼ぶにふさわしい外観を持ち、内装材をはじめ整備も当時第一級の材料を使って完成したのです。私は彼のご家族と工務店の間に立って住宅営業を成功に導けたことを心から感謝し、「どこにもない」この家を心から自慢に思いました。
 さてそれから数年が経ち、彼の家族に変化が現れました。今まで仲の良かった家族はそれぞれ個室を持ち、一家団欒の時間もなくなっていったそうです。家族というものは年月と共に変化するものだから自然なことだと私は思っていました。でも自体はそう甘くは無く、大黒柱だった彼は離婚をしてしまいました。幸いローンは完了していましたのでこの家は残された奥さんの物になったのですが、もう「作品」ではなくただ固定資産税がかかる「負債」となり、今は売り物になっています。このように家作りがもとで、夫婦仲や親子関係が悪くなったり、知人関係などが気まずくなったりする例は少なからずあるものですから私もそう気にせず、年月は流れていきました。
 そんな時でした。中村建設さんから呼ばれて、ホーミー教室に参加したのです。お取引もありましたので断ることも出来ず、私は義務感から出席しました。半ば斜に構えてホーミーのテープを聴き、中村会長と奥様のお話をお聞きしました。その講義の中で「住まいはそこに住む人の気を映す。」と教えられたのです。つまり住まいがそこに住む人の人格を作り、その人生にまで影響を及ぼすというのです。当時の私にはにわかに信じがたいことでした。心の中には毎回この講義への反発ばかりが残りました。家は建物でしかない、そこに住まう人の人格や人生にまで影響するなんて…、人間の幸福なんてその人の心掛け次第だ…と考えていました。ある時、中村会長から一冊の本を頂きました。冨田辰雄著の「幸福をもたらす住宅の条件」という本です。めんどうくさそうな顔をして私は読みました。その中に住宅を建てる目的のことが書かれてありました。住まいを建てる目的と動機は全く別物だというのです。住まいを求める「目的」を明確にせず、中途半端な知識で「動機」ばかりを重視して求めてゆく人が実に多いというのです。
 この時でした。私は本当は大変な失敗をやらかしたということに気が付きました。「どこにもない家」を作りたいという思いは「動機」にはなりえても「目的」などにはなり得ません。そこまで理解するのに私は半年もホーミーに通わなければなりませんでした。では「目的」はといえば「家族みんなで幸せになること」だというのです。そんなことは住まう人に任せておけば良いじゃないか、そんなことまで責任持てるか!…とまた私の心に反発が出てきます。でも私が関わったあの「どこにもない家」の家族は「みんなで幸せ」にはなれませんでした。その「事実」が私の心に重くのしかかって来るのを感じました。
 冨田辰雄氏はさらに言います。「あなた様はこれから建てる住まいのどこにご主人様、奥様、お子さんに対する感謝と愛、そしていたわりを表現なさいますか?」と。そして「お住まいをお建てになるこの際にお二人の愛をもう一度確かめ合ってみてはいかがですか?」と。
 営業、営業、売り上げ、売り上げ、と言って歩き回っていた私は、住宅業界にはこんな世界があるんだ、こんな問いかけがあるんだ!?と本心から驚きました。同時に住宅に携わる人間として自分はどうだったのか…あの「どこにもない家」は本当に建てて良かったんだろうかと何度も自問しました。答えは明らかでした。今、この家に住まう人はいません。私は自分の「失敗」を言いましたが、ホーミー教室の回数が増えるにしたがって、この「失敗」からは罪の臭いさえしてきました。当時最高の内装材、最高の設備を使い、著名なデザイナーを使って、子供たちにはそれぞれ個室を持たせて作った「作品」、このご家族に私はどうやって許しを請えばいいのでしょうか。
  住宅建設には住まう人とそれを建てる人との間に、中立の立場に立てる第三者の人が要ります。登記をするには司法書士、確定申告をするには税理士というように中立の立場に立ってお世話してくれる第三者が必ずいますが、住まい作りに関してはほとんどが住宅メーカーや設計事務所など「売る側」がこの第三者を引き受けます。私もこの「売る側」でした。この「売る側」が中立の立場を取るのはとても難しいものです。売らんが為のアドバイスはしても中立的なアドバイスは有り得ないのです。この中立的なアドバイスが出来るのがNPO団体である「幸福を生む住まいの研究グループ:ホーミー住宅研究所」です。私はここで自分のなすべき仕事を教えてもらっています。これから住まいを計画している人を見つけてはこの教室にお誘いしています。確かに「教室」などというものは苦手だとおっしゃる方もおられますが、たとえ一度だけでも聴いていただく価値は充分にあります。これからも私は、過去犯した失敗を忘れることなくホーミー教室に出来るだけ多くの人をお誘いしています。「住宅における幸福の条件」は確かに存在します。